マダムホーリーの毎日のご飯とぼやき日記

毎日作る料理をご紹介し、日々思うことをぼやいています。

サイモン・ラトル指揮によるベルリンフィルコンサート

2016-08-29 04:44:54 | ぼやき日記

添乗員任せの旅行。28日は、インスブルック観光の後、ザルツブルグ入りし、夜はベルリンフィルのコンサートに行くことに決めておりました。岩の壁を利用して作られているコンサートホールです。いろいろわからないために、お店の買い物もコインが使い分けできず、あたふたするし、移動はいつもバス。この夜は、一人でタクシーで会場まで行き、帰りは、バスに乗ってザルツブルグ中央駅まで帰り、駅から歩いてホテルに帰ることにしました。不安でどうしようもなかったのですが、行きは添乗員さんが付き添って下さいました。

会場前は、ドレスアップした女性と、正装の男性が、たくさん。スパークリングワインを外のカウンターで売っていましたので、飲んでみました。やっぱりお金であたふた。

ホールが開場になりチケットを見ると、前から1列目の 横から30番目。真ん前の席、しかもラトルの指揮棒が見えやすい右手側。

こんな位置で見えるのです。指揮者を見るのにこれ以上良い場所はありません。

マーラーの交響曲7番。5楽章まで同じテーマのリズムで構成されています。曲は少しずつ変わりますが、マーラーの作品の中では地味と言われていました。しかし、ベルリンフィルはすごいんです。みんなの音が調和していて、心地よい音の響きが、体に伝わるんです。

そして指揮者ラトルの、ドラマチックな構成と演出。第五楽章は特に凄かったです。

帰りなのですが、すぐそばの馬洗場の向かい側でバスに乗るのですが、お隣が、日本から来たお若い女性でしたので、ご一緒することができました。やれやれです。

ベルリンフィルの演奏が素晴らしすぎて興奮して眠れません。マーラーのリズムも体が覚えております。

こんな夢のようなことが実現できたなんて、ありがたいです。

 

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インスブルックからザルツブルグへ

2016-08-29 03:38:56 | 浜田のごちそうレシピ

  

27日夜にインスブルックに着いてホテルに泊まり、早朝目覚めたらこんな風景が、目の前にありました。趣のある中世の街並の後ろに2000メートルを超える山がそびえておりました。オリンピック開催年としか頭にありませんでしたが実は、インスブルックはハプスブルグ家の本拠地で、中世から栄えた町でした。ウイーンとインスブルックにだけ、王宮があるのだそうです。

午前中は、ホテルから見えた山の1900メートルの所まで上がりました。そこで、見晴らしの良い景色を見ました。

 

午後は現地ガイドの美しい日本人マダムによるインスブルックの歴史と文化のお話を楽しく聞かせていただきました。

 

オーストリアの歴史上の有名人の一人、神聖ローマ皇帝マキシミリアン一世ゆかりの建物や歴史建造物が幾つかあります。その中でも黄金の小屋根は目を引きました。町のお祭りを見学するために、作られたバルコニーなのです。黄金の屋根が付いていて美しいのです。後ろには山が見えておりました。

もう一人は、マリアテレジア女王

息子、レオポルトの結婚を記念して、作られた凱旋門。ですが、結婚式を前にして、夫が亡くなるという悲劇に見舞われ、門の裏は、金を廃止、地味に作られました。彼女の時代に王宮も改装され、生まれ変わりました。

最後はモーツアルト。

彼が泊まったというホテルです。白十字の看板でした。

昼食は、チロル料理のバイセス、レッセルというジャガイモとお肉のハーブソテー目玉焼きのせをいただきました。それにしても、こちらは、とにかく、レストランでも、総菜屋さんでも大盛りなんです。大食いの私でも平らげることはできないのです。スワロスキーもインスブルックが発祥でした。ちょっとだけお土産を買って、いよいよ夕方ザルツブルグ入りします。

祝祭劇場でベルリンフィルのコンサートに一人で行くことになっているのです。行くときはホテルからタクシーですが、帰り、無事路線バスに乗って帰ってこられるか、不安で仕方ありません。なんせ英語はまともに聞き取れず、ドイツ語はさっぱりわからず。

ドイツ語の入った電子辞書を持ってきていることに気がつきました。おそらく、使いこなせる頃には日本でしょう。

 

 

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