わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

ロマの調べ=福島良典

2008-10-06 | Weblog

 スペインの伝統舞踊フラメンコは激情で人々を魅了する。哀愁を帯びた歌声に合わせてフロアを踏み鳴らす踊り、寄り添うギター。生みの親は「ジプシー」と呼ばれ、迫害を受けてきた民族ロマだ。

 「民族選別措置に反対」。ロマ差別撤廃が話し合われた欧州連合(EU)本部の会議場。大きな指紋の絵とスローガンが描かれたTシャツ姿のロマの若者たちが静かに立ちあがった。イタリア政府によるロマへの指紋押なつ政策導入に対する抗議だ。

 教育、雇用での不平等や、不十分な医療、劣悪な居住事情。欧州に推定約1000万人が暮らすロマへの差別は根強い。とはいえ、ロマの闘いは伝統的な差別撤廃運動にとどまらず、自分たちの生き方を世界に発信する新たな段階を迎えているような気がする。

 その思いを強くしたのはスペインに暮らすフアン・デ・ディオス・ラミレス・エレディアさん(66)の話を聞いたからだ。86年から99年まで欧州議会議員を務め、ロマの市民団体を率いる。

 「流浪の民」はグローバル化時代を先取りしている。「今、『国境なきEU』というが、私らロマは前から国境なぞ持ったことがない」

 物質主義から縁遠く、環境にも優しい暮らしだ。「金融危機を心配しなくていい」「より大きな車、大きな家を持とうとする人が多いが、ロマは人生を楽しむ」

 見回してみれば、現代社会はモノが多すぎないか。新製品の山と、情報の洪水。人のつながりは薄れ、ストレスが増える。フラメンコのリズムに身をゆだね、ロマのしなやかさを見習いたい。(ブリュッセル支局)





毎日新聞 2008年10月6日 東京朝刊

小泉さんと我が恥辱=広岩近広

2008-10-06 | Weblog

 自民党の小泉純一郎元首相が引退する。影響力のあるうちに息子を後継にしたいのか、小泉流の引き際の美学か、あるいは別の理由からなのか、私にはよくわからない。

 来る総選挙では、与野党とも小泉改革の罪に触れるようだ。長期政権だったので、功罪はあろうが、ここでは別の罪を振り返りたい。

 芥川賞作家でジャーナリストの辺見庸さんが著した「いまここに在ることの恥」(毎日新聞社)を読み返していたこともあり、憲法に関する罪について思い至った。

 それは2003年12月9日のことである。当時の小泉首相は自衛隊をイラクに派遣するに当たり、「憲法の理念に沿った活動が国際社会から求められている」と記者会見で強調したのだった。

 辺見さんが「戦後最大の恥辱」と怒るのは、憲法前文の大事なパラグラフを省き、「国際社会において名誉ある地位を占めたい」とする後半部分のみを読み上げたことだ。辺見さんは「デタラメな解釈によって、平和憲法の精神を満天下に語ってみせた」と書いている。

 返す刀はマスコミにも向けられる。「総理、それは間違っているではないですかと疑問をていした記者がいたでしょうか」。私が記者会見場にいても、小泉流の演説を聞き流したことだろう。

 今にして、つくづく思う。小泉首相が「ぶっ壊した」のは自民党より憲法だったのではないか。事実、名古屋高裁は今年4月、自衛隊のイラク派遣は憲法9条に違反すると指摘した。永田町を去る小泉純一郎さんに、私は己の恥辱をみている。(編集局)





毎日新聞 2008年10月5日 東京朝刊

「78年」を超えた真実=渡辺悟

2008-10-06 | Weblog

 1930(昭和5)年12月9日の毎日新聞に、乳飲み子をおぶった男性の写真が載っている。29歳。失業したうえ妻に先立たれ、東京浅草から25日間歩いて大阪に着いた。だが知人は所在不明。困り果て天王寺署に駆け込んだ。

 前年10月のニューヨーク株式暴落で始まった世界恐慌。失業した人々は都市を捨て徒歩で故郷に帰った。都市に残った人も悲惨だった。

 「病に臥(ふ)して幼い4児を養育」「寒空の巷(ちまた)で姉妹が門づけ」「生きながら葬儀所の厄介 卒塔婆など入れた納屋で雨露をしのぐ老人」。毎日新聞は12月5日からキャンペーン企画「飢餓線上の人々を訪ねて」を始め、連日何組もの家族を仮名で紹介して義援金を届け続けた。

 だが違うページには「心機一転の旅 温泉、スキー、神詣で」「売り上げも客足も素晴らしい百貨店」といった記事が載っている。局所的には好況が存在し、それを謳歌(おうか)する人たちがいた。天国と地獄ほどの格差。大恐慌の実相である。

 「金本位制復帰」を断行した民政党政権は、徹底した緊縮財政でデフレの傷をさらに広げる。政友会の積極財政路線への敵対意識が耐乏政策を一層仮借ないものにした。

 いま起きている米国の金融危機。米議会の対応を見るにつけ、日本の国会の論戦を聞くにつけ、政治のかじ取りがいかに大事か、改めて思う。政策が政局や選挙、政争の具に利用されれば致命的なミスにつながりかねない。

 経済の破綻(はたん)で最も苦しむのは圧倒的多数の人たちだ。78年を隔てても、その事実だけは変わらない。(編集局)





毎日新聞 2008年10月4日 大阪朝刊

去る政権が残すもの=岸俊光

2008-10-06 | Weblog

 総選挙の足音を聞いて15年前を思い出した。93年夏、総選挙で自民党は敗れ、政権交代が実現した。下野した宮沢喜一内閣の仕事に「河野談話」がある。いわゆる従軍慰安婦問題で軍の関与を認め謝罪したのは、先ごろ政界引退を表明した河野洋平官房長官(当時)だった。

 最近縮刷版をみて、そうだったのかと思い返した。93年8月5日朝刊1面トップは<慰安婦の「強制連行」認める>。続いて<細川連立政権きょう誕生>の大見出し。歴史に残る談話は在任の最後に発表されたのだ。

 東大で行われた慰安婦問題のゼミに参加した折、談話作りにかかわった石原信雄・元官房副長官に話を聞いたことがある。石原さんは強制的に慰安婦にさせられたことを裏づける資料は見つからず、証言をもとに判断したと説明したうえでこう強調した。「彼女たちが作り話をしているとは思えない」と。

 就任後まもなく慰安婦問題の矢面に立たされた宮沢首相にとって、苦しい決断だったろう。批判は今も間欠泉のように噴き上がる。感心するのは、当時の関係者にブレがないことだ。

 昨年春、元慰安婦に償い事業を行ってきたアジア女性基金が解散した時の小宴で福田康夫前首相を見かけた。得になりそうもない会への参加に驚き、ひそかに期待もした。だが執念に欠けたか、時の運がなかったか、首相としては無残だった。

 最後に福田首相はインド洋での海上自衛隊の給油活動を延長する新テロ対策特措法改正案にこだわった。退陣前の異例の閣議決定。日米同盟とアジア外交の共鳴を掲げ「平和協力国家」を目指した、福田外交の課題をめぐる論戦を選挙で聞きたい。(学芸部)





毎日新聞 2008年10月4日 東京朝刊

内閣は何色?=福本容子

2008-10-06 | Weblog

 「ありゃピンク過ぎだ」--。今春発足したスペインの第2次サパテロ内閣について、イタリアのベルルスコーニ首相が感想を漏らした。17人中、国防相を含む9人が女性だったのをちゃかしたベルルスコーニ流軽口だったが、スペインでは大ひんしゅくを買ったようだ。

 ついでに麻生内閣の色は?と聞いてみたいけれど、「ピンク」でないのは確かだろう。

 日本の女性閣僚は一内閣あたり大抵2、3人だ。そのポストも最近「少子化」と「消費者」に固定化しそうな気配で気になる。

 閣僚は、担当分野の課題をよく理解し、目指す理想を持ち、その実現のため熱意を持って指導力を発揮する人だと思う(本来は)。少子化担当の場合、理想ははっきりしている。担当閣僚などいらない社会だ。子供のいる女性議員に任せておけばいい、という心では、その日は遠い。

 消費者行政担当も女性である必要はない。故ケネディ米大統領は、消費者の利益保護に大きく貢献した男性だ。有名な1962年の議会向け教書は「消費者とは我々全員のことである」で始まる。物を作る人も売る人も必ず消費者だ。なのにこれまで、作る側や売る側の利益保護ばかり考える行政が続いた。そっちはそのままにして、まずかったみたいだから消費者保護の役所を別にこしらえよう、買い物する人=女性、だから閣僚は女性に、では困る。

 男女に関係なく、適材適所で「なるほど」と思わせる人事がいい。それが無理なら別の提案だ。増えない夫の収入でも赤字を出さない実績があるから、財務相は女性に。総理の“女房役”と呼ばれる官房長官も当然女性でしょう。(経済部)





毎日新聞 2008年10月3日 東京朝刊

もどきの功績=与良正男

2008-10-06 | Weblog

 1969年12月の衆院選。この時、最年少の27歳で初当選したのが民主党代表、小沢一郎氏と旧社会党の佐藤観樹氏だった。ともに世襲。が、もう一人の27歳の世襲候補は落選した。小泉純一郎元首相である。父・純也氏の急死を受け出馬した選挙だった。

 引退を正式表明した先月27日の後援会会合で、小泉氏はこの話を披露し、「弔い合戦の息子はみな当選すると言われていた。小泉だけがよほど出来が悪いんだろうと。恥ずかしかったですね」と語った。

 その後、小泉氏が貫くことになる反竹下派、反小沢姿勢の原点は、この屈辱にあったのかもしれない。ひ弱な政権が続くのを見るにつけ、その執着心には脱帽する。

 内閣が行き詰まると首相を代えてイメージを一新する。自民党の長期政権の秘訣(ひけつ)は、この疑似政権交代にあるといわれてきた。私はこれを「政権交代もどき」と呼んでいるが、思えば小泉政権は「もどき」の極致だった。極致を見てしまえば、次は誰になろうと驚きは薄れる。ポスト小泉が苦しいのは当然なのだ。

 そして、そうはいっても小泉政権は自民党政権だった点も忘れてはいけない。一連の改革は族議員の抵抗にあい、いつも妥協を余儀なくされたことも私たちは、さんざん見てきた。皮肉でも何でもなく、「もどき」の限界も見せてくれたことが、私には大きな功績だったと思える。

 小泉氏が国会を去り、小泉氏がライバル心を燃やし続けた小沢氏が、「最後のチャンス」と、「もどき」ではない政権交代に挑む。あの衆院選から実に39年。これもめぐり合わせなのだろうと思う。(論説室)





毎日新聞 2008年10月2日 東京朝刊

男の介護=磯崎由美

2008-10-06 | Weblog

 ビジネスマン向け経済誌などで介護に関する記事が目立つようになった。「介護は嫁の務め」というのも昔話で、厚生労働省の07年調査では親や配偶者を介護する人の3・6人に1人が男性になった。

 滋賀県湖南市の事務職員、鈴木強さん(58)は今夏、思い切って職場に18日間の長期休暇を申し出た。向かったのは89歳の母が住む山梨の実家だ。母は長年の父の介護で足腰を痛め、今は「要介護5」だが、施設が嫌いなのでヘルパーを1日3回呼び1人暮らしをしている。

 夜は周辺に住む子らが当番制で泊まり込む。妹たちは総菜を作りためて帰る。女手だけに頼らず、兄たちも当番の夜は職場から実家に直行し、一晩見守り翌朝そのまま出勤する。費用も全員で分担している。

 7人きょうだいの中で鈴木さんだけが遠方に家を構え、費用面でしか参加できない負い目を感じてきた。休暇中はみそ汁を作り、米を炊いた。自分が10分で済む食事が母には1時間かかる。でも気長に付き合ううちに母は食欲を取り戻し、顔に赤みがさし、口数も増えていった。高齢者のペースに合わせた介護の大切さと難しさ。その一端を、身をもって知ったという。

 「それにしても、私が一人っ子だったらどうなっていたのか」と鈴木さんは考え込む。少子高齢化は働き盛りの男たちにも重くのしかかってきた。

 介護に詳しいジャーナリストの太田差惠子さんは「専門家や近所の人も含めたチームを組み、ビジョンを練り、時に軌道修正する。仕事のノウハウを生かして」と戦略性を説く。介護にも、仕事に劣らぬ覚悟が求められる。(生活報道センター)





毎日新聞 2008年10月1日 東京朝刊

名優=玉木研二

2008-10-06 | Weblog

 1955年9月30日。夕刻の米カリフォルニアのハイウエーを疾走していた新車ポルシェ・スパイダーが対向の左折車と衝突し、運転席の若者が即死した。ハリウッドの新星、ジェームズ・ディーンである。24歳だった。

 次回作に予定していたボクシング伝記映画「傷だらけの栄光」の主役に無名の俳優が抜てきされる。彼、ポール・ニューマンは実在のボクサーになりきった名演で高い評価を得、一躍脚光を浴びた。

 先週末、享年83の訃報(ふほう)に思い返したのはどんな役にもなりきるすごさだ。名優が他界して映画ファンが集えば、自然、ベスト作談議になる。ニューマンなら朝までかかるかもしれない。私は、落ちぶれた初老弁護士の再起を描く「評決」(82年)を推すが。

 長いキャリアは「エデンの東」「理由なき反抗」「ジャイアンツ」の3主演作しかないディーンと対照的だが、いずれも一作ごとに役作りにかけた努力、創造的な演技を模索する姿勢は通じ合う。

 そして他の名優たちも、無名時代には生活費を工面しながらニューヨークの演劇教室アクターズ・スタジオで学ぶなど、懸命の演技勉強を積んでおり、それが内面の葛藤(かっとう)や傷つきやすい繊細さを表現する演技の新境地を開いた。

 派手な仕掛けが米映画の真骨頂ではない。有名無名問わず、多くの俳優たちの鍛え上げた演技力こそがアメリカを映画王国にしてきたのだ。

 そこに親の七光りも、こそくな話題作りで注目させる安易な手法も通じない……おや、邦画界に少し苦言をと思っていたら、「永田町劇場」かいわいの風景が重なった。(論説室)





毎日新聞 2008年9月30日 東京朝刊

テレビ政治の妙=坂東賢治

2008-10-06 | Weblog

 「ケネディが野選で一塁に」。1960年9月、米大統領選初のテレビ討論会について報じたニューヨーク・タイムズ紙の見出しだ。民主党のケネディ氏が副大統領だった共和党のニクソン氏よりも有利に見えたが、ヒットやエラーなど決定的なものではなかったという意味だ。

 筆者は名政治記者として知られたジェームズ・レストン氏。勝敗よりもテレビ討論の歴史的意義に重点を置き、「候補者たちを、用意されたスピーチを読む遠くの存在としてではなく、極度の緊張下で予想外の議論の展開に反応する人間として観察できる」と高く評価している。

 26日のマケイン、オバマ両候補の第1回討論会を見てもスポーツの試合を思わせる真剣さが印象に残った。60年当時よりは政治家たちもテレビ慣れしたとはいえ、ちょっとした失言でも選挙戦に影響を与えかねない。対策は十分に練っているのだろうが、緊張感が伝わってきた。

 マケイン氏が金融危機への対応を優先すべきだと延期を提案したが、むしろ批判を受けた。主催する第三者機関が昨年11月に場所を選定し、1年近く準備を進めてきた。住民挙げての誘致運動を繰り広げる地域も少なくない。国民的行事であり、簡単に降りられるわけではないのだ。

 米国流のお祭り騒ぎやテレビ政治に疑問を感じることもある。しかし、候補者を鍛え上げ、選別しながら、同時に国民に参加意識を与える政治システムとしてはよくできていると思う。日本でも党首や候補者同士の真剣勝負を通じてそれぞれの度量を観察できる場ができないものか。(北米総局)





毎日新聞 2008年9月29日 東京朝刊

やっぱり「緑」が正解だ=西木正

2008-10-06 | Weblog

 同僚の藤原規洋論説委員が本欄で、大阪駅北側の再開発予定地・梅田北ヤードを「いっそ森にしよう」と提言したら、多くの読者から賛同の声が届いた。

 意を強くして「問題はお金だね」と話し合っていたところに、関西経済同友会が「グリーンパーク実現に向けて」と緊急提言を出した。

 同友会は、大阪市が土地を随意契約で購入し、淀川から水を引き込んで水都・大阪再生のシンボルとなる都市公園に、とアピールしている。

 土地代の試算は約650億円。これは大阪市が所有する255ヘクタールもの未利用地の活用や公園整備に目的を限定した地方債の発行、公園のネーミングライツ(命名権)売却、企業や個人の寄付でまかなえばいい、という。

 経済界の発案だけに、そろばん勘定はつじつまが合う。富山市のLRT「富山ライトレール」が駅設備の命名権商法で経営の一端を支えている実例だってある。「森と水の大阪」のビジョンを掲げて、市民の協力を求めるのも、すがすがしくていい。

 実現すれば、市民の憩いの場、災害に備えた巨大空間が生まれるばかりではない。大阪湾から淀川を通って都心の梅田まで、浜風が吹き抜ける緑の回廊ができる。

 建設中の大阪駅や周辺ビル群の屋上、壁面緑化を進め、緑の回廊を主要街路に延ばしていけば、ヒートアイランド現象を和らげ、住み心地を改善するのにどれほど役立つことか。都市の価値と品格を高める効果は計り知れない。

 ゆとりの切り捨てがまかり通る時代だ。これぐらいの夢がないと、息が詰まる。(論説室)





毎日新聞 2008年9月28日 大阪朝刊

「愛してる」なんて=藤原章生

2008-10-06 | Weblog

 イタリア日曜夜の民放テレビに「新人舞踏会」という番組がある。若い女性に社交ダンスや作法を面白おかしく教える趣向だが、印象深い場面があった。素人の女性が順番に踊りを披露していくと、突然、父親が現れる。「本人は父親が来ることを知りません」と字幕が入る。父親は一般の人である。

 女性は驚きと喜びで踊れなくなり、張りつめたものが切れたように、父親に抱きつき泣き出してしまう。司会者や審査員ももらい泣きし、会場が感動に包まれる。

 日本ならどうだろう。ずいぶん前には、生き別れの親子や身内を引き合わせる番組があったが、ここでの設定は、ごく普通の父と娘だ。下手したら「お父さん! 何しに来たの、もう、恥ずかしい」と言われてもおかしくない。

 イタリア人に「日本語で愛してるって何て言うの」とよく聞かれる。「『好き』かなあ。『愛してる』は輸入語で、歌やドラマではよく使うけど」と答えるとみな驚き、「じゃあ、子供には何て言うの」と聞いてくる。「態度や気持ちで示すくらいかな」と応じると、「やっぱり日本人は冷たい」という反応だ。

 ローマ人は怒鳴ったり、抱き合ったり、感情があらわだ。イタリア語も日本語に比べ、思ったことをそのまま明かす、おしゃべり言語である。感情は抑えるより出した方が後腐れがないという合理精神でもあるのだろうか。でも、私はやはりため込む方だ。

 でも、子供たちに「愛してる」と語り続ける日々の刷り込みが、父と娘のあんな場面を生みだすのかもしれない、と思った。(ローマ支局)





毎日新聞 2008年9月28日 東京朝刊

学校体育=落合博

2008-10-06 | Weblog

 学校体育の現場に長年いた先生が嘆く。「昔は『体育(運動)をすると脳みそまで筋肉になる』なんて言われた」。よく聞かされた「遊んでいないで勉強しなさい」も同様の発想に基づいている。

 米イリノイ大学の研究グループによると、小学校3年生と5年生を対象に調べたところ、運動が得意な子どもほど勉強の成績もいい、という統計学的傾向があるそうだ。

 今月上旬の日本体育学会で、「エビデンス」という言葉を耳にした。科学的知見とでも訳せばいいだろうか。大学での学問研究の成果と、学校現場での実践が乖離(かいり)しているのではないか、との問題提起がなされていた。

 体育とは何を教え、習得させる教科なのか? 30年以上前の自分自身の学校時代を振り返ってみれば、息抜きとして、何となく体を動かしていたという記憶しかない。

 「オフサイドはなぜ反則か」などの著作がある中村敏雄氏(元広島大学教授)が自身の経験を踏まえて書いている。「教えるべき内容がなく体系化もされていなければ教師はスポーツのコーチャーになるしかなく」「『レベルの低い部活指導』のような活動を体育というべきではなく」。高校の学習テーマとして中村氏は、バレーのサーブが落ちる理由やアマチュアリズムの歴史などを挙げている。体育の理科であり、社会科だ。

 学校体育への誤解は根強い。政治家との会合に出席したある研究者が漏らした。「筋肉マンを養成すればいい、とでも考えている政治家がいる」。自民党スポーツ立国調査会の会長でもある麻生太郎首相は、違いますよね?(運動部)





毎日新聞 2008年9月27日 東京朝刊

ウォール街流=福本容子

2008-10-06 | Weblog

 歴史的倒産のその日、リーマン・ブラザーズ証券では、大の男たちがチョコレート菓子の自動販売機に走った。社内でしか使えないプリペイドカードの残高を早く使い切ろうという駆け込み買いだ。前の週には、「万が一」に備えてカードへの入金をごく少額に抑える社員もいたという。

 巨額の資金を動かしてきた証券マンにしては、何ともみみっちい話だが、自己の利益を真っ先に守り損失を避けるというウォール街のルールに照らせば、正しい行動となる。

 これと同一線上なのだが、決してみみっちいと呼べない出来事もあった。リーマンのニューヨーク本社が倒産手続きに入る直前、ロンドンの欧州拠点から8000億円超を本社勘定に事実上、移転していたというのだ。すっからかんになった欧州拠点は従業員に給料も払えない。そんな折、ニューヨークの社員用には、ボーナス資金までしっかり確保されていたと分かり、ロンドンの怒りが爆発した。

 正直な人、誠実な人はウォール街流に向かない。11年前、倒産後の山一証券を取材しながら、そう感じたのを思い出す。会社が倒産しかけたら、転職先を探す、が基本の1だが、倒産から2週間たつのに、顧客の株券や債券を間違いなく返送しようと連日夜まで数百人が奮闘していた。不安と疲れでいっぱいのはずだが、照合作業が一発でうまくいくと、拍手が起きたりした。

 自信の頂点に安住したウォール街は今かつてない責めにあっている。振り子はもうけ至上主義から戻り始めたが、どこまで謙虚になれるだろう。数年したらまた強欲が闊歩(かっぽ)していた--はごめんだ。(経済部)




毎日新聞 2008年9月26日 東京朝刊