わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

クッキープロジェクト=磯崎由美

2008-10-23 | Weblog

 福祉系レストランに障害者の手作りクッキーが並んでいた。「もう買わない! オレばっかり買ってる」。スタッフの一言に、市民活動支援NPO「ハンズオン!埼玉」の若尾明子事務局長(34)はハッとした。

 授産施設や作業所のお菓子。味というより「福祉だから」と同情だけで買ってはいないか。そう気付いた若尾さんは「質で勝負できる商品作りを応援しよう」と思い立つ。「クッキープロジェクト」が始まった。

 デザイン、レシピ、無理のない働き方。まずは専門家を講師にした連続講座を開いた。埼玉県内の11施設から職員や利用者が集まって来た。ホテルシェフの試食では普段は聞けない厳しい指摘も受け、寸暇を惜しみ改良を重ねていく。こうして生まれ変わったクッキーを2月、ショッピングセンターで一斉販売。主婦や女子高生が長蛇の列を作り、短時間で完売した。思わぬ増収と良い物を作る喜びが、みんなの意識を変えた。

 それから半年。いくつかの作業所に今の売れ行きを尋ねたが、明るい答えは返ってこない。知的障害者の授産施設は「生産量を増やせない」。職員の欠員が埋まらないのだという。障害者自立支援法による報酬ダウンで経営は厳しく、介護職同様に低賃金重労働が進んだためだ。精神障害者の作業所は「新作のケーキも好評で工賃をアップしたいが、存続自体が危うい」とため息をつく。

 国は自立支援の一環で工賃倍増計画を掲げ、作業所に商品開発の努力を求めている。でも「やっと勝負できる商品ができたのに、売ることができない」と悔しがる人たちに、さらなる努力は強いられない。(生活報道センター)




毎日新聞 2008年10月22日 東京朝刊

「官力」テスト=玉木研二

2008-10-23 | Weblog

 <生徒の学力の実態を全国的につかむという目的なら5%の抽出で十分である。ばく大な金をかけて全員一斉調査をやるというのは、統計学上からいってもバカバカしいことである><ここで一斉テストをやめればよかったと思う。しかし予算もとったことだしメンツもある>

 まるで今を語るようだが、1964(昭和39)年10月、教育学者の海後宗臣(かいごときおみ)東大名誉教授が毎日新聞紙上で「全国学力テスト」をばっさり切った。予算とメンツには勝てぬ役所、といわれては当時の文部省も面はゆかったろう。では今はどうか。

 昭和のテストは競争を過熱させ、成績が振るわない子は当日休ませる学校さえ現れ、66年で打ち切られた。今のテストは世論にも押され「学力低下」対策を名分に昨年再開された。結果開示のあり方が各地で論議になっているが、そもそも毎年60億~70億円を投じ全員参加方式でやる必要はない。それは文部科学省も内々に認めるところだ。

 自民党の文教族からこんな逸話を聞いた。かつて文部省の幹部がそろって会食した。眼前のスープに誰も手をつけようとしない。トップの事務次官がスプーンを取ると、やがて序列通りにそれにならい、スプーンが順々に皿に当たる音、まさに音楽を聞くがごとしだった、と。

 そんな時代も変わった。55年体制で日教組と切り結んだころに比べ、文科省は気風変わり、開放的になったと私は思う。

 なのに「始めたらやめられない」官界の旧弊がなお絶えないのか? このまま工夫なく一斉テストを前例大事で繰り返すか、踏ん張って知恵を絞るか。肝の据わった「官力」をテストされているのは文科省の方だろう。(論説室)




毎日新聞 2008年10月21日 東京朝刊

ことばの力=福島良典

2008-10-23 | Weblog

 パリ勤務時代、市役所前広場に行けば彼女に会えた。元コロンビア大統領候補イングリッド・ベタンクールさん(46)。解放を待つ支援者が掲げた肖像写真は凜(りん)とした笑みをたたえていた。選挙運動中、左翼ゲリラ「コロンビア革命軍」に拘束され、人質生活は6年半に及んだ。

 学生時代をパリで過ごし、フランス国籍も持つ。いち早く解放要求の声を上げたのは欧州だった。今年7月、コロンビア政府の救出作戦が成功し、自由の身に。今月、欧州連合(EU)の欧州議会に招かれて演説した。訴えたのは「ことばの力」だ。

 「(ゲリラの)蛮行を指弾するあなた方の声をジャングルの奥でラジオから聞き、希望の灯がともった」「武器はことばの力だ。ことばで憎悪と闘い、対話で戦争に終止符を打てる」。最後に、捕らわれたままの仲間の名前を一人ずつ読み上げた。目頭が熱くなった。議場でも涙をぬぐう議員が少なくなかった。

 舞台が欧州議会だったのは象徴的だ。議会の英語名パーラメントの語源はフランス語の「話す」。市民の声を代弁し、民主主義と人権を守る「ことばの殿堂」であることを示す。

 世界議会にあたる国連総会で世界人権宣言が採択されて60年。宣言には「理性と良心を授けられた全人類は互いに同胞の精神で行動しなければならない」とある。だが、地上に争いは絶えず、人権侵害も続く。

 「アフリカの紛争地を訪れ、難民の母子を抱きしめたい」。ベタンクールさんは人質時代の疲弊を乗り越え、女性闘士の顔を取り戻した。ことばの力で復活した彼女にならい、ささくれだった世界を癒やす人間の可能性を信じたい。(ブリュッセル支局)




毎日新聞 2008年10月20日 東京朝刊

北新地の背筋=松井宏員

2008-10-23 | Weblog

 大阪・北新地のバーで。店の女性が「こないだね」と、こんな話を聞かせてくれた。

 前に勤めていた店で、この仕事を一から教えてくれたママが、体を壊してやめることになり、ねぎらいに行った時のこと。「かっこいい先輩でいられなくてゴメンね」と笑うママに、「今度、飲みに行きましょうよ」と誘うと、こう言われたという。「あなたは現役なんだから、仕事でお酒を飲みなさい」

 最後まで、北新地のママを貫こうとする気概に感じ入った。思えば、北新地で飲み始めたころ、こっちの背筋が思わず伸びるようなママが多かった。といって怒られるわけではなく、笑顔で頭を下げてくれるのだが、意地とか張りとか、見えない内側のものが、こちらにも伝わっていたのだろう。

 北新地は戦前、お茶屋が軒を連ねる花街だった。今もお茶屋は少ないながら残り、芸妓さんも14人いる。

 この夏、往時の花街の話を聞き歩いたのだが、かつての大阪四花街で最も格が高く、「実の北」と評された北新地の意地が残っていた。名妓とうたわれたお茶屋の女将(おかみ)が音もなく座敷に入ってくると、客は居住まいをただしたという昔話を聞くにつけ、ここはそういう街だったんだと思う。

 ビル街に様相を変えた北新地から、張りのあるママが姿を消していく。それも時代と言うはやすいが、街は変わっても、変わってほしくないものもある。街のにおいや魅力とは、そこに息づく人の醸し出すものやらなんやらが溶け合ったところにあるんではなかろうか。酔眼朦朧(もうろう)としながら、そんなことを思った。(社会部)





毎日新聞 2008年10月19日 大阪朝刊

手のぬくもり=萩尾信也

2008-10-23 | Weblog

 鳥が翼を休める止まり木のように、人に安らぎを届けてほしい……。両親が願いを込めて名付けた快枝(よしえ)さん(52)。絶やさぬ笑顔のその奥に、長い間封印してきた悲しみがあった。

 電話相談や遺族のケアを続ける東京自殺防止センターが、10月の連休に大阪でワークショップを開催した。「一人でも自殺を思いとどまってほしい」との思いを胸に、全国からやって来た37人の輪の中に彼女がいた。

 掲げたテーマは「ビフレンディング(友達になる)」。1953年に英国で生まれ、現在37カ国で3万人を超えるボランティアが活動する自殺防止組織「国際ビフレンダーズ」がはぐくんできた心である。

 「がんばれ」の言葉や、安易な価値観の押し付けは絶望の底にいる人々には届かない。「医者でもカウンセラーでもない私たちにできることは何だろう?」。参加者たちは電話相談のロールプレーを繰り返しながら、寄り添う心を模索した。その3日目の最終日に、快枝さんの目から突然、涙が噴き出した。

 「親友が自殺して。私、何もできなかった」。ハンカチを握り締めた手を小さく震わせ、絶句する。いつしか、傍らから伸びた手が次々と重なり、まなざしを上げると、涙を浮かべて小さくうなずく仲間たちがいる。

 セミナーを終え、「ありがとう」の言葉を残して滋賀の家に戻った快枝さんに電話をすると、こんな言葉が返ってきた。「あの時、手にぬくもりを感じたの。みんなで悲しみを分かち合ってくれたような気がして。私も、さりげなく手を重ねることができる人になりたいな」

 自殺者は10年連続で3万人を超えている。(社会部)




毎日新聞 2008年10月19日 東京朝刊

科学者の素顔=元村有希子

2008-10-23 | Weblog

 ノーベル賞を伝える者として、受賞者の素顔に触れることはもう一つの喜びだ。

 「うれしくない」と言いながら感極まって涙した益川敏英さん。信念に従って20年近くクラゲを捕まえ続けた下村脩さん。知る機会が限られる分、こうしたストーリーが心に響く。

 福井謙一さん(81年化学賞)の妻友栄さんが語ってくれた、亡き夫との思い出。お見合いから何度目かのデートは冬の賀茂川だった。あてもなく歩くうち、福井さんのオーバーから裏地がわかめのように垂れ下がった。福井さんは何気ない動作でそれをシューッとちぎり空中に放つ。布きれが風に乗ってヒラヒラと舞う。仰天した友栄さんに、福井さんはにこにこして「まるでシュール模様」の裏地を見せてくれたという。

 シューッ、ヒラヒラ。ほのぼのとした様子が目に浮かび、胸が熱くなった。ノーベル賞を受けるほどの人はやっぱり大人(たいじん)だと言ってしまえばそれまでだが、何かに熱中している人はこんないちずさと無邪気さを併せ持っている。科学者に限ったことでもないと思うがどうだろう。

 科学ライターの渡辺政隆さんが、科学者の人間像に関するこんなエピソードを紹介している(「一粒の柿の種」岩波書店)。ある研究者がタクシーに乗ったら運転手に聞かれた。「4人で飯食いに行って、お新香が三つしかないのにいきなり食っちゃう。8人で九つのエビがあったら二つ食っちゃう。科学者ってそういう人ですか」

 科学者は空気を読めない、という意味らしい。残念だが、科学の「結果」ばかり伝えてきた私たちにも責任の一端がある。(科学環境部)




毎日新聞 2008年10月18日 東京朝刊

株を上げる男=福本容子

2008-10-23 | Weblog

 少し前、この欄で弱り切った2人の首相の話を書こうとした。福田さんとイギリスのゴードン・ブラウン首相の状況がとても似た感じだったからだ。

 どちらも昨年就任したばかりなのに支持率低下が著しく、「年末まで持たない」が通説となって、ついに与党内からも“辞めろコール”が出始めていた。前任者のハデさと明るさ(福田さんの場合は前々任者)に対し、地味で暗いのもそっくりだ。

 書かなくてよかった。その後、ブラウンさんの株だけ急騰したのである。

 金融危機への対応で、他国に先駆け大手銀行への資本注入を決断したかと思えば、フランスのサルコジ大統領を説得し、ヨーロッパ全域で同様の銀行支援が決まった。そして「ブラウン式」は、国による金融機関への一斉出資を渋り続けてきたアメリカでも採用されることに。週明けの世界同時株高はブラウン首相がきっかけだったのだ。

 賭けが吉と出るにつれ、みるみる自信がついた。イギリスをヒトラーから救った戦時の宰相、チャーチルと自らを重ね、「新しい国際金融秩序を作る時だ」と歴史的会議を呼びかけた。今年のノーベル経済学賞に選ばれた、あのポール・クルーグマン・米プリンストン大教授からも、金融恐慌から世界を救った救世主になるかもしれない、とかほめられ、箔(はく)まで付いた。

 もちろん、その後の株式相場のように、ブラウン株の急落もあるかもしれない。けれど、人気が全然なくても、「この難局に立ち向かえるのは、自分しかいない」と言い放ち突き進む、勇気と信念と決断力は大したものだ。こういうのを「堂々たる政治」と言うのかな。(経済部)




毎日新聞 2008年10月17日 東京朝刊

一番の景気対策=与良正男

2008-10-23 | Weblog

 01年4月の自民党総裁選。3度目の挑戦となった小泉純一郎氏の陣営が建設業界の関係者に電話で支持を求めたところ、こんな答えが返ってきたという。

 「小泉さんが首相になれば公共事業は減らされるに決まっている。でも、世の中、パーッと変わった方が景気はよくなるような気がしてきた」

 当時、業界団体の大半は橋本派の牙城。しかし、小泉氏はこうした支持を受けて党員投票で圧勝し、党総裁、そして首相に就任した。

 小泉内閣発足後も下げ基調が続いた日経平均株価は、03年4月、バブル後最安値の7607円をつけるが、その後、上昇に転じる。金融機関の不良債権処理を最優先したことが市場に好感されたのだろうし、逆にその市場優先主義の姿勢が格差問題などを招いたのも事実だ。

 ただ、私には先の建設業界関係者の話のように、多くの人が「何か変わるかも」と将来に期待を持ったことが、小泉時代、景気が持ち直した隠れた要因だったように思える。

 麻生太郎首相は新たな経済対策を考えているという。でも、例えば定額減税は確かにありがたいけれど、それで世の中の金回りがよくなるだろうか。貯金に回す人も多いのではなかろうか。そう、将来が不安だからだ。年金や医療など安心で希望の持てる未来を示す方が有効な景気対策だと私は思うのだ。

 国民の間にも「この経済情勢下、衆院選をしている場合か」との声がある。民主党は国会対策であれこれ策を講じて早期解散を促すより、「政権交代し、政治を変えることが最大の景気対策」と、もっと地道に訴えるべきではないのか。(論説室)




毎日新聞 2008年10月16日 東京朝刊