わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

孫の葉巻=伊藤智永(外信部)

2008-10-11 | Weblog

 政治漫画で葉巻をくわえたクシャ顔と言えば、吉田茂元首相のトレードマークだった。麻生太郎首相が夜な夜なホテルのバーで葉巻をくゆらすのは、偉大な祖父にあやかりたくて長年まねてきた習わしと聞く。

 人様の趣味にやぼは言うまい。気になるのは、おじいさんの影がのぞく頻度である。

 「130年前の今日、吉田茂が生まれました」。半月前、自民党総裁に選ばれた直後の第一声だ。衆院予算委員会の初答弁も吉田茂論だった。

 座談が興に乗ると「小学生のころから新橋の料亭で祖父と政治家の話を聞いて育った」というのが自慢。帝王学? でも、政談になじんだ子供って変だ。

 麻生氏とウマの合う安倍晋三元首相も、祖父・岸信介元首相への畏敬(いけい)がとても強かった。どちらも母方の血筋で、政治家だった父親の話はほとんどしないのも共通している。

 父と息子には葛藤(かっとう)がある。父子相伝という成句は、その厳しさも含む。共に命懸けの拘置体験を経て、戦中・戦後の荒々しい政界を勝ち抜いた吉田と岸が、そろって息子を後継ぎにしなかったのは、政治の怖さが身に染みていたからだろう。

 だが、どんな偉大なおじいちゃんも娘の子には甘い。保守政党の支持者たちも血筋の物語に弱い。偉大な元首相たちの孫が次々と首相になる現象は、単に地盤を継ぐ世襲とは別の政治の衰弱ではないのか。

 吉田茂の長男、健一は、文士になった政治嫌いで、父親と疎遠だったが、母方の祖父、牧野伸顕元宮内相を敬慕し、聞き書きで回顧録までものした。昭和天皇の謹厳な重臣も、やっぱり孫には甘かった。





毎日新聞 2008年10月11日 0時03分