1930(昭和5)年12月9日の毎日新聞に、乳飲み子をおぶった男性の写真が載っている。29歳。失業したうえ妻に先立たれ、東京浅草から25日間歩いて大阪に着いた。だが知人は所在不明。困り果て天王寺署に駆け込んだ。
前年10月のニューヨーク株式暴落で始まった世界恐慌。失業した人々は都市を捨て徒歩で故郷に帰った。都市に残った人も悲惨だった。
「病に臥(ふ)して幼い4児を養育」「寒空の巷(ちまた)で姉妹が門づけ」「生きながら葬儀所の厄介 卒塔婆など入れた納屋で雨露をしのぐ老人」。毎日新聞は12月5日からキャンペーン企画「飢餓線上の人々を訪ねて」を始め、連日何組もの家族を仮名で紹介して義援金を届け続けた。
だが違うページには「心機一転の旅 温泉、スキー、神詣で」「売り上げも客足も素晴らしい百貨店」といった記事が載っている。局所的には好況が存在し、それを謳歌(おうか)する人たちがいた。天国と地獄ほどの格差。大恐慌の実相である。
「金本位制復帰」を断行した民政党政権は、徹底した緊縮財政でデフレの傷をさらに広げる。政友会の積極財政路線への敵対意識が耐乏政策を一層仮借ないものにした。
いま起きている米国の金融危機。米議会の対応を見るにつけ、日本の国会の論戦を聞くにつけ、政治のかじ取りがいかに大事か、改めて思う。政策が政局や選挙、政争の具に利用されれば致命的なミスにつながりかねない。
経済の破綻(はたん)で最も苦しむのは圧倒的多数の人たちだ。78年を隔てても、その事実だけは変わらない。(編集局)
毎日新聞 2008年10月4日 大阪朝刊
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