1955年9月30日。夕刻の米カリフォルニアのハイウエーを疾走していた新車ポルシェ・スパイダーが対向の左折車と衝突し、運転席の若者が即死した。ハリウッドの新星、ジェームズ・ディーンである。24歳だった。
次回作に予定していたボクシング伝記映画「傷だらけの栄光」の主役に無名の俳優が抜てきされる。彼、ポール・ニューマンは実在のボクサーになりきった名演で高い評価を得、一躍脚光を浴びた。
先週末、享年83の訃報(ふほう)に思い返したのはどんな役にもなりきるすごさだ。名優が他界して映画ファンが集えば、自然、ベスト作談議になる。ニューマンなら朝までかかるかもしれない。私は、落ちぶれた初老弁護士の再起を描く「評決」(82年)を推すが。
長いキャリアは「エデンの東」「理由なき反抗」「ジャイアンツ」の3主演作しかないディーンと対照的だが、いずれも一作ごとに役作りにかけた努力、創造的な演技を模索する姿勢は通じ合う。
そして他の名優たちも、無名時代には生活費を工面しながらニューヨークの演劇教室アクターズ・スタジオで学ぶなど、懸命の演技勉強を積んでおり、それが内面の葛藤(かっとう)や傷つきやすい繊細さを表現する演技の新境地を開いた。
派手な仕掛けが米映画の真骨頂ではない。有名無名問わず、多くの俳優たちの鍛え上げた演技力こそがアメリカを映画王国にしてきたのだ。
そこに親の七光りも、こそくな話題作りで注目させる安易な手法も通じない……おや、邦画界に少し苦言をと思っていたら、「永田町劇場」かいわいの風景が重なった。(論説室)
毎日新聞 2008年9月30日 東京朝刊
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