わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

テレビ政治の妙=坂東賢治

2008-10-06 | Weblog

 「ケネディが野選で一塁に」。1960年9月、米大統領選初のテレビ討論会について報じたニューヨーク・タイムズ紙の見出しだ。民主党のケネディ氏が副大統領だった共和党のニクソン氏よりも有利に見えたが、ヒットやエラーなど決定的なものではなかったという意味だ。

 筆者は名政治記者として知られたジェームズ・レストン氏。勝敗よりもテレビ討論の歴史的意義に重点を置き、「候補者たちを、用意されたスピーチを読む遠くの存在としてではなく、極度の緊張下で予想外の議論の展開に反応する人間として観察できる」と高く評価している。

 26日のマケイン、オバマ両候補の第1回討論会を見てもスポーツの試合を思わせる真剣さが印象に残った。60年当時よりは政治家たちもテレビ慣れしたとはいえ、ちょっとした失言でも選挙戦に影響を与えかねない。対策は十分に練っているのだろうが、緊張感が伝わってきた。

 マケイン氏が金融危機への対応を優先すべきだと延期を提案したが、むしろ批判を受けた。主催する第三者機関が昨年11月に場所を選定し、1年近く準備を進めてきた。住民挙げての誘致運動を繰り広げる地域も少なくない。国民的行事であり、簡単に降りられるわけではないのだ。

 米国流のお祭り騒ぎやテレビ政治に疑問を感じることもある。しかし、候補者を鍛え上げ、選別しながら、同時に国民に参加意識を与える政治システムとしてはよくできていると思う。日本でも党首や候補者同士の真剣勝負を通じてそれぞれの度量を観察できる場ができないものか。(北米総局)





毎日新聞 2008年9月29日 東京朝刊

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