わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

記憶と忘却の街=磯崎由美

2008-10-16 | Weblog

 東京・歌舞伎町の雑居ビル火災で44人の命が奪われてから7年が過ぎた。所有者の過失責任を問う裁判がこの7月ようやく終わったが、出火原因は今も分かっていない。

 ビル内の飲食店で働いていた植田愛子さん(当時26歳)、彩(さい)子さん(同22歳)姉妹を一度に失った母(56)には、悲報を聞いた時がついこの前のことのように思える。取り壊されたビルの前で命日の慰霊祭を続けてきたが、「新たなビルが建てば、献花も難しくなるのでしょうか」と先を案じる。

 火災後しばらくして、母は同じ境遇の人たちの思いを知ろうと、新聞記事を基に他の遺族を捜し続けた。やはり娘を失った母親とは、互いの思い出を語り合っては泣いた。被害者なのに「なぜあんな深夜営業の店にいたのか」と親族にも冷たく見られている人や、周囲の目をはばかり「もう連絡しないでください」と電話を切る人もいた。

 今年の命日だった9月1日、現場周辺で「44名の命を無駄にしないで」と書いたチラシを配り、防火対策の徹底を呼びかけた。その1カ月後、ニュースで大阪の個室ビデオ店火災を知る。店内見取り図を見て、思い出したくない記憶が呼び覚まされた。「逃げ場のないビルにこんなに多くの人を詰め込んで……何が変わったの」

 私は歌舞伎町の現場を歩いた。雑居ビルの跡地は繁華街とフェンスで隔てられ、そのすき間から見える更地では背を伸ばした雑草が枯れている。林立する看板の中に「個室ビデオ」が目につく。地元には教訓として慰霊碑を建てようと訴える人もいるが、「忘れたい」「客足が遠のく」との声も強いという。(生活報道センター)





毎日新聞 2008年10月15日 東京朝刊

新バベルの塔=福島良典

2008-10-16 | Weblog

 「バベルの塔」に出会ったのは小学生のころ。塔を拠点に超能力少年が悪に立ち向かう横山光輝氏原作の東映SFアニメ「バビル2世」を通じてだった。主題歌と共に砂嵐の中から姿を現す塔の映像が脳裏によみがえる。

 同じ言葉を話していた人間が天まで届く塔を建設して神の意に反した--という旧約聖書創世記の逸話は後日知った。「そんな企てができぬよう言葉を混乱させ、聞き分けられぬようにしてしまおう」との神の意思で世界の多言語状況が生まれたとすれば、外国語の勉強で苦労するのも無理からぬ話だ。

 今、一部の言語学者の間で「新バベルの塔」という表現が使われ始めている。米国覇権や英語の国際語化の流れに対抗して、ブリュッセルに本部を置く欧州連合(EU)が進める多言語政策を指す場合が多い。全加盟27カ国の言語をできるだけ平等に扱い、域内言語の学習で相互文化理解を促進する施策だ。

 EUのラトビア人通訳、イエバ・ザオベルガさん(50)は03年に祖国の加盟条約調印式典を通訳した胸の高鳴りを覚えている。「ソ連から独立した国が10年余りで欧州クラブに仲間入りできるなんて」。ラトビア語の誇りを失わず、仕事で使う英語、フランス語に加え、今、スペイン語の習得に挑戦している。「私はラトビア人で欧州人」

 日本では「英語も満足に話せないのに第2外国語に力を入れる余裕はない」が学生や教育者の本音だろう。だが、「全世界が英語だけ」になっては味気ない。知人の中には英語に対する苦手意識をばねにフランス語や中国語を習得した人もいる。バベルの塔を妨害した神様に感謝すべきかもしれない。(ブリュッセル支局)





毎日新聞 2008年10月13日 東京朝刊

核の掟破り=大島秀利

2008-10-16 | Weblog

 核兵器は、プルトニウムやウランなどの核物質を使って作る。自国の自由にできるウランが増えれば、それだけたくさんの核兵器を作りうる。そんな懸念を無視したと思わざるをえないのが、米国の主導で例外的にインドへの原子力関連輸出を認めた原子力供給国グループ(NSG、日本など45カ国)の先月の決定だ。

 核拡散防止条約(NPT)では当面、核兵器国を米英露仏中に限定し、原子力関連輸出は、国際原子力機関(IAEA)の査察を全面的に受け入れることを条件に許される。これが原則だ。ところが、インドはNPTに未加盟で核兵器を持つし、査察対象外の原子力施設も持つ。例外措置は明らかに掟(おきて)破りである。

 インドは輸入したウランなどについて軍事に利用しないと約束した。ところが、ここに抜け道があるとインドやパキスタンの専門家らが指摘してきた。というのは、もともとインドはウランを自己調達していて、それを核兵器用と、民生用(原発用)に振り分けなければならなかった。ところが、今回の措置で、輸入ウランを原発用に回せる。これで自己調達分のウランはすべてを核兵器用に使えるというわけだ。

 インドの原子力平和利用は、地球温暖化防止に役立つとの理屈もあるようだが、仏露などに商売としての原発輸出意欲が見え隠れするし、核爆弾がもたらす地球環境破壊こそまっさきに心配しなければならないことだろう。

 日本政府も例外措置に賛成したが、納得できない。原則が崩れ、核をめぐり不安定な世界になると懸念するからだ。(科学環境部)





毎日新聞 2008年10月12日 大阪朝刊


貧乏学生のススメ=潟永秀一郎

2008-10-16 | Weblog

 「社会に出る。そのためのインセンティブ(誘因)がなくなってる気がしますね」。東京・吉祥寺のジャズ喫茶。壁際の席でウイスキーをなめながら、メールマガジン「月刊少年問題」編集長、毛利甚八さんの話にうなずいた。

 毛利さん50歳、私47歳。共に九州の地方都市から東京の私大に進み、「1000円は結構な大金」という学生時代を過ごした。時は70年代末から80年代初頭。マンション住まいやマイカー持ちもいたが、まだ少数派。「6畳一間、風呂なし、仕送り数万円」が上京学生の平均像だった。

 何の縁か当時暮らした町は近く、共に通った1軒に、にぎり1人前400円のすし屋があった。「バイト代が入ると行きましたね」。学生向けの温かい店だったが「いつか社会人になったら白木のカウンターのすし屋で『一通り』って注文してみたい」と思った。「そう、あのころは学生と社会人に、いい意味の格差がありました」と毛利さん。

 格差の第一は風呂の有無だったが、今は学生でも風呂付きが当たり前。首都圏で平均10万円を超す仕送りにバイトで数万円稼げば、社会人1年生の手取りと大差ない。自宅生でバイト代が全部小遣いなら、父親の小遣いを上回ることも。「何も社会人になって苦労しなくても、家でバイトしてた方がいいと思う子が増えて当たり前。それが社会の活力を奪っている面があると思う」

 子供に苦労させたくないと思うのは親心。だが若い時にいい生活をすると、後がきつくなることもある。高校生は進路決定の時期だが、「窮乏生活も勉強のうち」とおじさんたちは語り合ったのだった。(報道部)





毎日新聞 2008年10月12日 東京朝刊