わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

敗れても物ごいにあらず=玉木研二(論説室)

2008-05-27 | Weblog

 新学習指導要領で小学校の5、6年生に「英語活動」が導入されるが、それでは遅い、3年生から必修にせよ、という声が出てきた。この調子だと、私立中学入試に英語が登場するのも時間の問題かもしれない。いやはや。

 日本は過去、英語に対する「焦り」や「愛憎」の時を2度持った。最初は明治。学校教育制度の祖で初代文部大臣になる森有礼(ありのり)は、欧米列強に肩を並べるために焦慮の揚げ句か、英語を日本の国語にしようとした。さすがに反対され、実現しなかったが。

 そして敗戦。玉音放送を聴いて思い立ったというわずか30ページ余の「日米会話手帳」が民間出版されるや、初版30万部は数日で消え、年末までに360万部売れた。食う物にも欠くのにだ。初めて接する占領軍への戸惑い、恐れ、好奇心がその数字にある。当時の街頭写真で、手帳を手に女性が米兵と語らう光景はどこかぎこちなく、せつない。

 もちろん英語を使いこなせる日本人はいた。当時の朝日新聞に米軍将校に道を尋ねられ、英語で教示した大学教授の会話が紹介されている。礼のつもりかたばこを差し出した将校に教授はたしなめるように言った。「貴官がこれを下さるというのならば、私は受け取ることはできない。売るというのなら、あまりに高価で買うわけにはいかない。敗戦国の国民と乞食(こじき)は明確に区別をしてもらいたい」

 そして今、ウッソー、マジ?程度の会話が英語でできれば十分とは、まさか文部科学省も考えていまい。恵みのたばこを静かに断った教授の矜持(きょうじ)とつつましさを表現し得てこそ、真の外国語習得である。




毎日新聞 2008年5月27日 0時24分

ボニーとクライド=坂東賢治

2008-05-27 | Weblog

 1930年代の米南部ルイジアナ州の農村地帯。ヤブに隠れた男たちが乗用車に一斉銃撃を浴びせた。ハチの巣になる車と、車内の若い男女。米ニューシネマの傑作、「俺たちに明日はない」(67年)のラストシーンだ。

 主人公の女性ボニーと恋人のクライドは実在のギャング団メンバー。警官殺しや銀行強盗を繰り返して悪名をとどろかせ、34年5月23日に追跡していたテキサス州当局者に殺害された。共に20代だった。

 強力なマシンガンで武装したギャング団は当局にも脅威だった。2人の死の翌月、米議会はマシンガンなど火力の大きい銃の所持を規制する初の連邦銃器法を制定した。

 それから70年余。米最高裁は自宅での拳銃所有などを禁じたワシントンの銃規制が合憲かを審議している。銃規制を求める市民団体は保守派の多い最高裁が違憲判断を示すのではないかと危惧(きぐ)する。

 争点は銃所有が憲法が認めた個人の権利かどうかだ。独立戦争以来、市民が銃で秩序を守ってきたと自負する米国民は多い。だが、最高裁が個人の権利と認めれば、行政は規制に及び腰になるだろう。

 全米ライフル協会などの圧力もあり、銃規制の実態はボニーとクライドの時代とあまり変わらない。30人以上が犠牲になった昨年4月のバージニア工科大学銃乱射事件後も規制の声は広がらなかった。

 しかし、大型兵器以上に人命を奪う銃の規制強化の動きは世界的にも高まる。3億丁近い銃が出回り、年間3万人が銃関連で死亡する米国の責任は重い。「銃は米国の文化」と規制を拒否する主張は単独行動主義でしかない。(北米総局)




毎日新聞 2008年5月26日 東京朝刊

想像力試す四川大地震=藤原規洋

2008-05-27 | Weblog

 中国・四川大地震は、発生から2週間近くたつのに、いまだに被害の全容がつかみきれていない。一方で、被災者間で著しい救援格差が顕在化してきた。今後、資力や精神的ダメージからの回復などの点で、復興に向けた大きな個人差が生じるだろう。

 つい、阪神大震災と比較してしまう。あの時も、テレビで紹介された避難所には善意の救援物資やボランティアが殺到し、そうでない所との格差が生まれた。お年寄りや障害者ら「災害弱者」対応も問題になった。それでも、四川の現状を見て、日本だったらあれほどには、と思っている向きも多いことだろう。

 しかし、過信は禁物だ。中央防災会議の想定では、大阪を南北に貫く上町断層帯でマグニチュード7・6の直下型地震が起きた場合、最大で死者4万2000人、避難者480万人など、いずれも阪神より1けた多く、四川に匹敵する。また、南海、東南海地震が連続して起きた場合、東海から九州にかけての太平洋岸を中心に4万棟が津波被害に遭うなどし、被災者数はさらに膨れ上がる。

 広域地震となると、国や自治体の力は分散して、救援物資が届かない被災地が出てくる可能性がある。それでなくても、財政再建のため住宅の耐震化や耐震診断補助を後回しにする自治体が多いのが現状だ。阪神以降に広がった広域連携も計画通りに機能するか疑問だ。

 となると、個人や家庭で地震に備える「自助」、地域で助け合う「共助」が不可欠ということになるが、さて十分か。四川の惨状は、危機への想像力を試している。(論説室)




毎日新聞 2008年5月25日 大阪朝刊

電話の携帯と家族の解体=大島透

2008-05-27 | Weblog

 有害情報から子供を守るため、政府は小中学生の携帯電話の使用制限を検討するという。携帯電話・PHSの普及率は小学生31%、中学生58%で、これらを持つ世帯も全体の95%に達している。

 携帯との縁が切れないのは子供だけではない。父の一周忌のため先日、実家に帰省した際、1人暮らしになってしまった母の電話を、従来の固定式から携帯に切り替える話が出た。安否確認の利便性を考えてのことだが、携帯に切り替えれば今後、電話は実家ではなく、母個人にかけることになる。実家という「家屋の形」はそのままでも、内実は個々人に解体している。

 作家の橋本治さんは、家族について「家というシステムを、たとえ面倒でも運営していくという意識が家族になければ、家は崩壊してしまう」と指摘している(「日本の行く道」集英社新書)。「家族は家に帰属しなければならない」という負担と、家族の役割を各人が引き受ける覚悟が必要なのだ。1950~60年代、農村から都会へ大量の人口が移動した。農村は貧しく、仕事を求めて「家を出ざるを得ない人」が大勢いた。一方では「家を自主的に出ていく人」も大勢いた。都会へあこがれ、家を離れる自由が許された時から、今日に至る家族の解体が始まったという。

 今や全国の世帯の半分が1人か2人暮らしである。「一家に1台」だったテレビが「1人に1台」まで増えた時、家族メンバーの個室への引きこもりと、茶の間の消滅が指摘された。国民皆携帯電話時代は、家族そのものが家屋の外へ出ていき、消滅へ向かう現実を突きつけている。(報道部)




毎日新聞 2008年5月25日 東京朝刊

裁判員制度がわかりますか=西木正

2008-05-27 | Weblog

 宇都宮地裁の判事がストーカー容疑で逮捕、というニュースが飛び込んできた。

 私とそう違わない年齢なのに、インターネットカフェとかフリーメールとか、世間のトレンドはしっかり押さえている、と感心している場合ではない。

 裁判官など法律の世界にも発想が柔軟で人間味のある人は多いのだが、浮世離れした堅物(かたぶつ)の固定観念が強いから、この事件に驚きがある。

 いまの刑事裁判も、分かりにくくて近寄りがたいイメージがぬぐえない。職業裁判官の経験に一般市民の良識を取り込んで、文字通りの「開かれた裁判」にしようという改革が裁判員制度だ。

 スタートまであと1年になった。だが、法曹界のPRで中身が知られるほどに、裁判員に選ばれるのを敬遠する声が目立つという皮肉な現象が起きている。

 時間や手間を取られるわずらわしさだけではない。罪の有無を判断し、罰の重さを決め、ときには死刑かどうかの選択も迫られる。「人が人を裁く」ことへの畏(おそ)れとためらいが強いせいだろう。

 実際に同じ市民の裁判員がどう悩み、知識や体験がどのように判決に反映されたか。その足取りがわかれば、肩の荷も少しは軽くなる。

 制度には守秘義務など厳しい制約が設けられている。だが、改革の狙いを生かすには裁判員保護に支障のない範囲で判決までの議論の概要を明らかにしたり、裁判員個人の意見や感想を公表できるような手直しを考えてもいい。

 市民感覚を生かした裁判の実現にはもう一段、やわらか頭の発想が欠かせまい。(論説室)





毎日新聞 2008年5月24日 大阪朝刊

長時間会談も心理作戦=松田喬和

2008-05-27 | Weblog

 公明党の太田昭宏代表と福田康夫首相との3時間に及ぶ先ごろの会談は、さまざまな憶測を呼んでいる。

 公明党も連立政権入りして以来、10年目。結党以来の金看板である「福祉」も、かつてのようなアピール力は失われている。肝心の福田内閣の支持率も低落傾向に歯止めはかからない。「このままでは泥船と一緒に沈んでしまう」といった焦りの声も公明党内からは聞こえてくる。

 それを見越したように民主党は揺さぶり作戦に出ている。年内解散説を小沢一郎代表は再三にわたり口にする。太田代表が出ている衆院東京12区への国替え説も一時、流布された。その一方で、「総選挙の結果次第では、公明党との連携も選択肢の一つ」(赤松広隆選対委員長)と、懐柔路線も打ち出す。

 国替え説には「挑発には一致団結するのがうちの体質」(幹部)と、公明党も一時は身構えた。だが、連続13回当選している小沢氏とはいえ、国替えとなれば党首としての全国遊説もままならない。小沢氏自身が「今、国替えの考えはない」と幕引きをした。

 党首会談の概要を太田氏は「高齢者の方々が安心して暮らせ、報われるような政策を強く打ち出すよう福田首相に進言した」と、説明するが、真相は依然不明だ。

 昨秋の大連立構想をはじめ「何でもありの政局」が続いている。「解散時期のウソは責任は問われない」が政界の常識。今国会もヤマ場を越した時期での党首会談を契機に、解散、内閣改造をめぐり諸説が一斉に流された。与野党間の心理作戦は一層激しくなるばかりだ。(論説室)




毎日新聞 2008年5月24日 東京朝刊