わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

「ハゲタカ」と呼ばれても=中村秀明

2008-05-17 | Weblog


 サブプライムローン問題に苦悩する欧米の金融機関が巨額損失を出したと聞くと、いけないと思いつつ、つい顔がゆるむ。

 今年1~3月だけでスイスのUBSが1兆9500億円、英HSBCが6000億円。米シティグループは昨年から積もり積もって4兆6000億円、米メリルリンチが計3兆3000億円。損失は今後もっと膨らむだろう。

 わが三菱UFJ、みずほ、三井住友の3大銀行はどうか。無傷ではないが、傷の程度は浅い。そこで思う。今こそ、国際金融の世界で、かつての存在感を取り戻すために奮起する時なのだ、と。

 シティは従業員約9000人を削減し、約41兆円相当の事業や投資案件を切り売りする。他も軒並みスリム化に走るはずだ。優れた人材を引き受け、引き抜き、売りに出てきたものは手に入れ、あるいは買いたたく。ライバルが後始末に追われているうちに、有望な事業や地域への投資・融資を進めればいい。

 バブル経済を背景に「邦銀脅威論」が起きたのは約20年前。老け込むには早い。3大銀行に総額6兆円を超える公的資金を投入して助けてあげたのも、「日はまた昇る」という期待と「国民のため、もっと頑張れ」との激励を込めたものだった。

 苦境の欧米組に代わって存在感を増すことは、世界の金融安定にもつながる。海外でがっぽり稼いで、消費税1%分の2・5兆円くらいの法人税を毎年納めてくれたら、国の財政は助かる。そして、国内顧客のサービス向上にも本気で取り組んでほしい。

 やってくれますよね?(編集局)




毎日新聞 2008年5月16日 東京朝刊

みの対策!?=与良正男

2008-05-17 | Weblog

 「新聞の論説委員だけに理解してもらっても仕方がない。みのもんたさんに理解してもらわないといけない」。内閣支持率の低下にあえぐ福田康夫首相に、公明党の幹部がこう進言したそうだ。

 論説委員の一人として社説を担当する一方で、みのさんが司会する「朝ズバッ!」(TBS系)で時々、コメント役を務めている身としては、何とも複雑な思いだ。「新聞の社説に比べ、テレビの方が影響力がある」とも、「論説委員はくみしやすい」とも聞こえてしまう。

 確かに道路特定財源を廃止し、一般財源化する方針を福田首相が打ち出した時、毎日新聞をはじめ、各社の社説は総じて評価した。日銀総裁人事でも民主党の対応の方に批判的だった。ところが、支持率は下がるばかり。だから、みのさんを味方に……ということなのだろう。

 だが、(もちろん私たち論説委員もそうなのだけれど)少し説明すれば与党寄りになるなどと考えているとすれば大間違いである。

 みのさんとは意見が合わない時もあるし、単純化し過ぎだと思う時もある。でも、世の人々が今、何を怒っているのか、それをとらえる直感のようなものには、とかく永田町の理屈だけに陥りがちな政治記者を続けてきた私も実は学ぶところが多いのだ。

 負担増を国民にお願いする前になぜ、税金の無駄遣いをなくさないのか。なぜ、行政改革をしないのか。みのさんの主張は過激でも何でもなく、ごく当然の話である。理解を求めるより先に、国民の不信の根っこがどこにあるか、まず素直に聞くことですね。(論説室)




毎日新聞 2008年5月15日 東京朝刊

樹海からの生還=磯崎由美

2008-05-17 | Weblog

 携帯電話の向こうから聞こえてくる声は弱々しい。「本当に解決できるんでしょうか」。Yさん(35)はいつもこう返す。「できます。私だってこうして生きている」

 03・3255・2400。市民団体「全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会」(被連協)が多重債務者からのSOSを受け止める「命の電話」だ。24時間態勢で応対し、毎日夕方から翌朝にかけては埼玉県の支援団体で活動するYさんが担当する。転送用の携帯電話は寝る時も枕元に置いている。

 07年1月の開設以来、受けた電話は約3800件。そのうち32件は富士山麓(さんろく)に広がる青木ケ原の樹海から発信されていた。被連協は昨夏、この番号を記して自殺を踏みとどまるよう呼びかける看板を樹海に立てた。1週間さまよい足が壊死(えし)した男性。家を捨てて来た夫婦……。1本の電話から債務整理と生活再建の道を見つけた人も多い。

 高金利の怖さはYさん自身が知っている。就職して勧められるままに信販会社のカードを作り、最後はヤミ金融の餌食になった。家でベルトに首をかけたが切れ、遠のく意識の中で浮かんだのは両親の顔だった。その後、被連協を知って相談した。

 年間3万人の自殺者のうち約7000人は「経済・生活問題」が動機とされる。消費生活センターへの多重債務相談は急増しているが、公的な受け皿はあまりに乏しい。

 「生きたいのに生きられない。確実な手段を取らず樹海へ向かう人たちの心には、死への迷いがある」とYさんは言う。救える命とその方法は確実にある。(生活報道センター)




毎日新聞 2008年5月14日 東京朝刊

世代=玉木研二

2008-05-17 | Weblog

 教科別になる中学、高校の教師の思い出は断片的になるが、授業は全部忘れ、ある発言だけ鮮明に覚えている国語教師がいる。旧制中学世代。「あります」が口癖だった。ある日、教壇で唐突に戦争中の勤労動員の話になった。

 「そのころ、教師の中には、英語は敵性語だから勉強せんでいいと言いながら、自分の子にこっそり勉強させていたのがいたのであります。いずれ戦争に負けて受験にも英語が必要な時代が来る、と知っていたのであります」

 何かの拍子に悔しさが間欠泉のように噴出したらしい。教師の言うことを真に受けた自分は戦後の進学で苦労し、割を食った、本来自分は君らのようなボンクラ生徒の前に立っておる人間ではない、と言いたかったのだろう。

 こんな思い込みがわだかまりとなって氷解せぬまま過ごす人生とは、気の毒というほかない。先生が食卓でまたひとくさりこの恨み節を言い、顔を見合わせる家族--。生意気にもそんな光景を勝手に想像したものだ。

 昨今、現行学習指導要領で学んだ青少年を「ゆとり世代」とからかう風潮があるという。国を挙げて学校教育に手抜きをし、学力不足の世代をつくり出したかのごとき言いようである。きちんとした検証もなく、こういう思い込みばかりがはびこることを、私はひそかにあの先生の表情を思い出しながら憂える。

 かつて「共通1次試験世代」が覇気を欠く若者を揶揄(やゆ)する言葉として使われた。今の社会の中堅、40代である。根拠がなく、やがて使われなくなった。「ゆとり世代」なる言葉もかくあるべしだ。(論説室)




毎日新聞 2008年5月13日 東京朝刊

マルチレーシャル=坂東賢治

2008-05-17 | Weblog

 50年前の7月、米南部バージニア州に住む新婚夫妻が深夜に拘束された。白人の夫と黒人の血を引く妻。隣接した首都ワシントンで結婚したが、同州では違法だった。

 9年後の67年に夫妻は異人種間結婚禁止は憲法違反との最高裁判決を勝ち取る。「ようやく自由になれた」。記者会見でそう答えた妻、ミルドレッド・ラビングさんが今月2日、68歳で死去した。

 人種差別は遠い時代のことではないことを実感する。だが、自分が複数の人種の血を引く(マルチレーシャル)と考える米国民は今や人口の2・4%、680万人(00年国勢調査)を超える。

 ゴルフのタイガー・ウッズ選手、米大リーグ・ヤンキースのデレク・ジーター内野手、歌手のマライア・キャリーさん。米国を代表する有名人3人はいずれもマルチレーシャルだ。

 米大統領選で民主党の指名争いをリードするオバマ上院議員も父親がケニア人で母親が白人。人種を超えた米国の統合を訴えたオバマ氏の登場は米国の変化を感じさせた。

 しかし、本当にそうなのか。6日のノースカロライナ州などでの予備選結果に疑問も生じた。オバマ氏に黒人の9割の支持が集中する一方、白人の6割はクリントン上院議員支持に回ったからだ。

 選挙戦が長引くにつれ、オバマ氏に人種問題が重くのしかかってきた。予備選を制しても有権者の多くがオバマ氏を黒人代表と見るなら、本選での当選確率は下がるだろう。4年に1度の大統領選は米社会の変化も反映する。人種問題は克服可能か。まだ、答えは出ていない。(北米総局)




毎日新聞 2008年5月12日 東京朝刊

シック大学=大島秀利

2008-05-17 | Weblog

 「今ごろ、よりによって学問の府で、なんで」と驚いたのが、シックハウス症候群による大阪大学の研究棟の閉鎖である。

 国内で中学校、保育所、そしてオフィスと相次いでシックハウス症候群が表面化したのは2002年6月。私は当時の取材にかかわったが、この間に法的な規制などが進み、新たなシックハウス症候群の発生はめったにないかもしれないと思っていた。その認識は甘かった。

 室内環境学を専攻とする柳沢幸雄・東京大教授によると、世界保健機関(WHO)が建物内の空気が原因で体調を崩す人々がいることを報告したのは84年。その後、デンマーク工科大の故ファンガー教授が「シックビルディング」という概念を提唱、88年以降に米環境保護局(EPA)の建物内で職員約100人が症状を訴えると、問題が大きく取り上げられた。EPAでの職員の不調の原因は、床に敷き詰められたカーペットの化学物質だったという。

 それにしても米国の環境行政の本丸「EPA」で20年前に起きたことがいまだに教訓化できていないのか。

 シックハウス症候群は、建物内の化学物質などによって鼻血、めまい、吹き出物、目の痛みなどが出る。通常、当該の建物から退避すると、症状が治まるが、重症例では、別の場所のわずかな化学物質にも反応する「化学物質過敏症」になる。

 阪大が「念のため」と7階建て延べ約6500平方メートルもの研究棟を当面閉鎖したのは当然だ。発症者のケアと並行して、原因を徹底究明し、社会に還元していただきたい。(科学環境部)




毎日新聞 2008年5月11日 大阪朝刊

言葉とカメラと=藤原章生

2008-05-17 | Weblog

 ここ最近、人の顔つきや思いに、敏感になった気がする。例えば、先日招かれた家でピザを焼いてくれた60代の男性。カタコトのイタリア語で政治の話をしただけだが、長いこと彼の顔が記憶に残った。素朴さと悲しみをたたえた目と、周辺の細かなしわ。歯をくいしばったような口元。顔から指先までが、何かを語りかけている気がした。

 これは、言語のせいという気がする。新しい言語で暮らしだすと、表現力は子供に戻る。「私、ローマ、来て、4週間、勉強、とても大変、たくさん、楽しいです」といった口調の毎日。原稿を書く以外、日本語を避けていると、1カ月が過ぎたころから時々、イタリア語で考えている瞬間が出てくる。寝入りばなや、ぼーっとしている時。自分の頭はイタリア語、つまり、幼児語になっている。そんな時に見たり感じることは、大人言葉での日々とは違うのではないだろうか。

 最近、15年前に留学したメキシコの街で出会った人々の忘れていた表情や出来事をよく思い出す。その時も今と同じ幼児語だったからなのか、言葉がない分、記憶が濃く深い気がする。記憶が他よりもはるかに鮮明でつぶさに思えるのは、実は見たものをいちいち言葉に置き換える作業が、感性の妨げになっているからではないだろうか。

 似たようなことはカメラにも言える。仕事がら、写真を撮りながら旅行をしてきたが、時に写真が強すぎて、他の記憶を抑え込んでしまう。カメラを持たない旅の方がよほどつぶさな記憶が残る。カメラと言葉は感性を鈍らせる、とちょっと思った。(ローマ支局)




毎日新聞 2008年5月11日 東京朝刊