わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

電話の携帯と家族の解体=大島透

2008-05-27 | Weblog

 有害情報から子供を守るため、政府は小中学生の携帯電話の使用制限を検討するという。携帯電話・PHSの普及率は小学生31%、中学生58%で、これらを持つ世帯も全体の95%に達している。

 携帯との縁が切れないのは子供だけではない。父の一周忌のため先日、実家に帰省した際、1人暮らしになってしまった母の電話を、従来の固定式から携帯に切り替える話が出た。安否確認の利便性を考えてのことだが、携帯に切り替えれば今後、電話は実家ではなく、母個人にかけることになる。実家という「家屋の形」はそのままでも、内実は個々人に解体している。

 作家の橋本治さんは、家族について「家というシステムを、たとえ面倒でも運営していくという意識が家族になければ、家は崩壊してしまう」と指摘している(「日本の行く道」集英社新書)。「家族は家に帰属しなければならない」という負担と、家族の役割を各人が引き受ける覚悟が必要なのだ。1950~60年代、農村から都会へ大量の人口が移動した。農村は貧しく、仕事を求めて「家を出ざるを得ない人」が大勢いた。一方では「家を自主的に出ていく人」も大勢いた。都会へあこがれ、家を離れる自由が許された時から、今日に至る家族の解体が始まったという。

 今や全国の世帯の半分が1人か2人暮らしである。「一家に1台」だったテレビが「1人に1台」まで増えた時、家族メンバーの個室への引きこもりと、茶の間の消滅が指摘された。国民皆携帯電話時代は、家族そのものが家屋の外へ出ていき、消滅へ向かう現実を突きつけている。(報道部)




毎日新聞 2008年5月25日 東京朝刊

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