わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

ナルシシズム・メディア=落合博(運動部)

2008-05-10 | Weblog

 1789年7月14日、ルイ16世は日記に「何もなし」と書き込んだという。バスチーユ監獄が襲撃されたこの日はフランス革命が(勃発ぼっぱつ)した日として世界史年表に載っている。世間の諸事に無関心だったか、情報から隔離された「裸の王様」だったか。

 長野市内で北京五輪の聖火リレーがあった先月26日、走者を務めた競泳選手の公式サイトには何の書き込みもなかった。リレー後の取材に、この選手は「この問題について答えるつもりはない。僕らの舞台は、ここで発言することでなく、競技を見せること」などと話したという。

 問題とはチベット問題を指す。彼の所属先でもある、聖火リレーのスポンサーは直前、宣伝車での参加を取りやめた。彼の言葉には配慮がにじんでいて、裸の王様ではなかったことは確かなようだ。

 北京五輪では、選手や役員によるブログ(インターネット上の日記風サイト)活動が解禁される。私小説的とも言えるブログについて、雑誌「ナンバー」初代編集長でジャーナリストの岡崎満義さんは「ナルシシズム・メディア」と呼ぶ。心の内を直接ファンに伝えられるのが人気の一因らしいが、自己愛の吐露に陥りかねない。顔を出して公の場所で語ることが自分だけでなく、スポーツの社会的な地位を高めることにもなることに気づいてほしい。

 五輪期間中、選手発の「ナマの情報」があふれるだろう。私たちは、選手本人にとって都合の悪いことについても、気後れせずに尋ね、発信していくことでメディアとしての存在意義、社会的な位置を確保していきたい。




毎日新聞 2008年5月10日 0時16分