わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

鉄という贈り物=青野由利

2008-05-03 | Weblog

 鉄は超新星からの贈り物。宇宙の歴史を思うと、そんな気がすることがある。

 宇宙の始まりに鉄のような重い元素は存在しなかった。恒星は最も軽い元素である水素の反応で輝き、進化の果てに鉄ができる。星が最後に超新星爆発を起こすと、鉄は宇宙空間にまき散らされる。それがめぐりめぐって今、地球上にあるからだ。

 超新星どころか「鉄は神様からの贈り物」という研究者もいる。金属学を専門とする東京工業大の竹山雅夫さんだ。第一に地球上にたくさんある。放っておくと酸化鉄として環境に戻る。しかも、温度を上げ下げするだけで結晶構造が変わる。他の材料にはない性質で、「軟らかくて伸び」「強くて硬い」という微妙な兼ね合いが実現できる。

 車用の高級鋼板では、この兼ね合いがものをいう。自在に形を変えられ、乗る人の安全も確保できるからだ。その鋼板作りで日本はぴかいちの技術を誇り、車需要が伸びる中国などから引く手あまた。そんな話を聞くと、鉄の見え方がさらに変わってくる。

 一方で鉄は、地球温暖化問題の主役でもある。鉄鉱石から鉄を作るのに大量の石炭が必要で、これが温室効果ガスの排出源となる。今春初めて公表された企業別の排出量でも鉄鋼会社は上位を占めた。京都議定書以降の枠組み作りの国際交渉でも、鉄鋼業界をはじめとする分野別の削減目標作りが注目されている。

 鉄は時には武器になり、時には私たちの体の中で酸素を運ぶ役目も果たす。鉄とのうまい付き合い方こそ、神様が人類に出題したクイズなのかもしれない。(論説室)




毎日新聞 2008年5月3日 東京朝刊


聖火リレーの健全度=中村秀明

2008-05-03 | Weblog

 悪評まみれの聖火リレーは、よく考えると貴重な機会を与えてくれた、と思う。

 長野での79番目の走者、有森裕子さんは語った。「なぜこうしたことが起きたのか、解決するにはどうしたらいいかを一人一人が考えることが大事だ」と。

 中国が国家の威信をかけた壮大なリレーを計画しなければ、チベット問題が世界に広く発信されることもなかっただろう。政治的な思惑を込め、政治的に利用しようとしたばかりに、政治的なしっぺ返しを受けたと言える。

 そして、各国での様子を見ていて気がついた。整然と、問題も起きずに終わった国ほど、自由にものが言えない息苦しい国なのだ、と。

 たとえば、今週初めの北朝鮮。歓迎一色に包まれ、朝鮮中央通信は「デモは完全に管理された」と伝えた。あの国では、すべてを国が統制している。一方、フランスや英国、日本、韓国はいろいろあったが、開かれた健全な社会ならではの光景だったのかもしれない。

 「抗議、妨害などがあればすぐに逮捕する」と当局が警告したタンザニアや、一般市民を締め出したインドなどはまだまだである。走者が倉庫の中にこそこそ隠れた米国も、同時テロ以来、疑い深くなり、何かにおびえ続けている姿を象徴していた。

 聖火は中国に入った。国をあげての祝賀ムードの中で、「農民工」と呼ばれる人たちの劣悪な生活に代表される格差拡大や役人の腐敗など、さまざまな不満も渦巻いているという。中国でのリレーでそうした抗議行動を見たいと思うのは、妄想だろうか。(編集局)




毎日新聞 2008年5月2日 東京朝刊


ああ微動だにせず=与良正男

2008-05-03 | Weblog

 「しかし、この結果によって今後の国会運営は微動だにしない。基本方針に変わりはない」

 最近、どこかで聞いたと思う人は多いだろう。だが、実はこれ、1987年3月、売上税が大争点となった参院岩手補選で自民党候補が大敗した翌日、時の中曽根康弘首相が語った言葉である。

 中曽根氏は補選後もなお売上税の導入を進めようとするが、自民党はその後の統一地方選でも不振続き。徹夜国会や議長あっせんなどを経て、売上税は結局、廃案となる。

 衆院山口2区補選で敗北しながらガソリン税の暫定税率復活に突き進んだ福田政権。今後、どんなしっぺ返しが来るのか、あるいは来ないのかは、無論まだ分からない。

 でも、当時は廃案に至るまでには金丸信副総理が「このまま、おしん(!)の心境でいればいいというわけにゆかぬ。国民の半数以上が賛成するよう考えねばならない」と大幅見直しを提案し、軌道修正をはかる場面もあった。

 そんな柔軟さや余裕、知恵さえ今の政権党にはない気がしてならない。

 何より、国民生活に直結する政策を実施する場合には、よほど政治家や官僚らが自ら身を削る姿を見せないと納得してもらえないことは、売上税後の消費税導入の際にも痛いほど知ったはずだ。

 私には不思議でならない。なぜ、まず先に政治不信の根源といえる税金の無駄づかいや天下りにもっと具体的にメスを入れようとしないのだろう。20年余、まるで学んでいないともいえるし、それが自民党の限界なのだとみることも可能かもしれない。(論説室)




毎日新聞 2008年5月1日 東京朝刊


サザンビーチ=磯崎由美

2008-05-03 | Weblog

 目の前に浮かぶ烏帽子(えぼし)岩。遠くには江の島。神奈川県の茅ケ崎海水浴場は海辺の恋を歌うサザンオールスターズにちなみ「サザンビーチちがさき」と名付けられている。

 9年前ネーミングにかかわったのが、当時茅ケ崎市商工観光課の職員だった中村成信(しげのぶ)さん(58)。年々利用者が減るビーチに活気を取り戻す地域活性化の一環だった。

 その中村さんが06年2月、市に懲戒免職処分を受けた。スーパーでバレンタインデー用のチョコを万引きして逮捕されたのが理由だ。でも中村さんには犯行の記憶がない。専門医の診察を受け、ピック病と診断された。

 ピック病は前頭葉や側頭葉が萎縮(いしゅく)する認知症で、アルツハイマー病に比べ発症年齢が低い。万引きなど軽犯罪を起こすのも症状の一つだが、社会の理解はまだ乏しい。

 万引き事件は起訴猶予となったが、市は事件後わずか16日で処分を決めた。退職金はゼロ。妻は夫の介護で働きに出ることもできない。

 中村さんは市の公平委員会に懲戒免職処分の撤回を申し立てた。市側が「病気ではなく処分は正当」と反論し審査が続く中、同僚や労組が中心となり「支える会」を結成。名誉回復と病気への理解を広げる活動が始まった。

 若年認知症は働き盛りを突然襲う。仕事に誇りを持って何十年と働いてきて、理不尽な退職に追い込まれたのは中村さんだけではない。

 サザンビーチには活気が戻り、今年のゴールデンウイークも恋人たちやサーファーでにぎわう。中村さんはあの時市長から受けた表彰状を今も大切にしている。(生活報道センター)




毎日新聞 2008年4月30日 東京朝刊