死について考える。父親の死で感じた事。未だ死に対する認識がなく、50mプールを全力で泳ぎ上がった後の虚脱感が続いている。それは、「死亡しました」と言われた瞬間から続いている。目の前は霞み(涙の霞ではない)、誰かの言葉も流れる音も頭の中で二重にも三重にもグルグルと回転している。太陽が沈み闇が訪れても、熱のようなものがギラギラと私を殴りつけている。哀しみとか孤独とか言う感情よりも先に訪れているものは “絶対的な虚脱感と倦怠感だ”
父が可愛がってくれていた私の愛犬は葬儀までの4日間、かたときも離れず遺体の傍に寄り添っていた。掛け布団を引っ張ってみたり、身体を揺すってみたり、又は顔を舐めたり、そして普段発することのない声で鳴いていた。まるで、生理のときのようにそわそわと、何かが間違っている、そして何かがおかしいぞ、とでも言うように“死”という概念を認識出来ずにいるようだったが、死を本能で感じとっていた。
本能とはやはり凄い。脳がたまたま発達した人間にも、精神が壊れないように、この絶対的な“虚脱感と倦怠感”という薬を与えてくれているのだろうか・・・この水のないプールの中で・・・乾いた・・・空が青い metro
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