メトロギャラリー飯田はぷららブローチの終了に伴いgooのブログに引越して参りました。
仕事が多忙のため余り更新できませんが、たまに観ていただければ幸いです。今後は、メトロギャラリーの展示、フェイスブック Facebookにて知り合いになった世界中のアーティストや最近聞いている音楽などを中心に掲載していきたいと思います。宜しくお願い申し上げます。
絵本「回転うさぎと電気ネズミ」の主人公・飛べない飛びうさぎのラパ
http://www7.plala.or.jp/karaokecity/kaitenusagi2..html
小さな頃、家の前が骨董品屋さんだったことから、とても古びていて時の流れに長く晒された品々が好きです。特に、古いアンティークトルソー・シャビーな照明器具や医療器具・錆びた看板やひび割れた椅子など・・・。たまたま出会った「Obsolete・時代遅れ」と言う名の品々を眺めては「欲しい」という願望に溜め息を吐き続けている今日この頃です。本年も宜しくお願い致します。
私の大好きなアーティストRon Pippiin・ロン ピピンの作品を扱っているサイトでもあります。 metro
そこで、〝お布施はお気持ち”と譲らない住職に相談した。ただでというわけでははない。前回の70パーセント程の金額を提示した。しかし、帰って来る答えは葬儀はやめなさいとか、世の中はお金ではないとか、延々と説教を聞かされ、最後にはあなたにはお気持ちがないから、私は拝みに行かないとまで言われた。大学卒業まで育ててくれた親に対して気持ちがない子がいるだろうか?その住職は昔、キャバレーの女の子に狂っていたことを知っているだけにく悔しくて眠ることもできなかった。だが、通夜の前日「私が間違っていました。明日は宜しくお願い申し上げます」と頭を下げ葬儀が無事終了した。
住職の説教の一部だけ抜粋する 「一億円を一億一千万円にすることは難しく大変だ。しかし、0円から百万円にすることは簡単だ。また、0円であれば後は増やすだけだ」と住職が言う。私は、後者の方が難しいし、マイナスになる可能性の方が高いと反論した。仕事、仕事と言わずもっとのんびりして生きがいを見つけなさいと言いつつ、稼いでお寺に寄付しなさいとも言う。私だって金銭的な余裕が有れば、のんびりと好きな事をして、たまには世界中を旅して歩きたい。しかし、15年間、一泊旅行さえままならないのが現状だ。こう言った話はそこのお寺にたまたまお墓があるということで全国の至るところで永遠に続いていくことかと思う。
最後に、哀しみと怒りと混在した心の葛藤を抱きながらの葬儀になってしまったことを亡き母に謝りたい気持ちで一杯だ。また、半世紀余り働き続け、8年間、病と闘い続けた母には、49日を待たず愛し続けた父のもとにいってほしい。 metro
選択権のない選挙は無意味だと思う。今回の選挙は選択すること自体おろそかでおそまつな選挙で言葉すらあげることも、ブログに載せることすら煩わしさを感じずにいられない。どちらにしろ、消費税10パーセントは確実だ。しかしまた法人税の切り下げで、消費税はふっとんで消えてしまうだろう。法人税の切り下げで景気浮揚?。橋本政権時に失敗しているから学習済みだと思うが・・・。消費税は私達の未来に使われる為の税金であればいいのだけれども、竹下政権が打ち出した3パーセントから幾歳・・・未来の為に使われた様子がない。
今回、政治のことをブログに載せた理由は、どこぞの政党に肩入れしているわけではない。先日父の葬儀の際、霊柩車に向かって、現防衛大臣の北沢俊美の選挙カーが手を振っていたのに呆れたからだ。死者に対して失礼極まりないし、あってはならないことだ。末端であろうと常識の範囲はわかるだろう。国家の防衛を担う大臣というのが聞いて呆れる!がらんどうと言うよりも空っぽな政治家の頭の中身にため息ばかりでる始末だ・・・metro
追記・・・そもそも生まれた環境が不平等だから、平等などと言われる幻想は戯言に過ぎない。しかし、大多数の人達が将来に不安を抱えて生きている国家など国家足りえない。本当に、国家と民に自らの命と心意気を捧げる政治家や官僚が現れなければ国とそこに暮らす民の安寧などありえない。
死について考える。父親の死で感じた事。未だ死に対する認識がなく、50mプールを全力で泳ぎ上がった後の虚脱感が続いている。それは、「死亡しました」と言われた瞬間から続いている。目の前は霞み(涙の霞ではない)、誰かの言葉も流れる音も頭の中で二重にも三重にもグルグルと回転している。太陽が沈み闇が訪れても、熱のようなものがギラギラと私を殴りつけている。哀しみとか孤独とか言う感情よりも先に訪れているものは “絶対的な虚脱感と倦怠感だ”
父が可愛がってくれていた私の愛犬は葬儀までの4日間、かたときも離れず遺体の傍に寄り添っていた。掛け布団を引っ張ってみたり、身体を揺すってみたり、又は顔を舐めたり、そして普段発することのない声で鳴いていた。まるで、生理のときのようにそわそわと、何かが間違っている、そして何かがおかしいぞ、とでも言うように“死”という概念を認識出来ずにいるようだったが、死を本能で感じとっていた。
本能とはやはり凄い。脳がたまたま発達した人間にも、精神が壊れないように、この絶対的な“虚脱感と倦怠感”という薬を与えてくれているのだろうか・・・この水のないプールの中で・・・乾いた・・・空が青い metro