銀の人魚の海

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消えた1万人の子供たち 驚きの児童移民制度

2023-06-09 | ドキュメンタリー NNN、Nスぺ、ガイア、BS世界のドキュメンタリー~など

NHKBS放映。ダークサイドミステリー。

1回見ているアジアの誘拐と思ったら、違った。

衝撃、知らなかった。児童移民制度。

この制度初めて聞く。英国とオーストラリア

カトリック教会が関係、性的虐待もあった?

見始めて感じたら、そうだった。

86年英のソーシャルワーカー、Mに手紙が来た。

オーストラリアから。40代のA女性。

「私は誰なのか?どこで生まれたのか?4歳で父母が

死に、ノッティンガムの施設から、

船に乗り遠いオーストラリアの施設に送られた」

驚いた。Mは全く知らない。習っていない。

英国のAの出生記録を調べると、父はない、

母が載っていた。母の記録をたどる。

再婚し母は生きていた。Mは訪問。母はAは娘と。

施設に預けた、養子に出すと約束された。

オーストラリアへは全く知らない。

母はショックを受けた。

施設はウソをついたのか?

Mは86年のオーストラリア新聞に

訪ね人を掲載。

1か月で10通返信。オーストラリアへ送られた子供の

30年の苦しみが書かれていた。

出生証明がないので聞いたが、

英の施設からも連絡はない。

19世紀に児童移民制度ができた。

オーストラリアは人口が700万人と少なく、

広大な土地。移住で白人を増やす、優性思想の制度だった。

南ア、カナダから15万の子供が送り込まれた。

1967年まで続いた。貧困家庭、父母が死んだ子供だった。

隠された移民。1954年の新聞には教会、救世軍など

複数の慈善団体6つが、募る広告を出していた。

信用された組織。人権侵害ではない、助けるためと。

自発的でなく強制で送る、移送といった。

農地開拓。子ども労働者として送った。

団体のパトロンは王室だった。

70~80年代は秘密にされていた。

87年1月Mは調査開始。子供たちは

皆綺麗なスーツを着て船で旅だった。

11歳で移民の男性は、荒れ地で何もなく自給自足の生活。開拓者、

学校へもいけず字もかけない。人格は泣く数字で呼ばれた。

家族は知らない。IDを否定された。

何もない西部へはさらにひどい地域。

裸足で労働、神父から殴られ、性的虐待も受けた。

ケガをしても治療はない。

38年の新聞は、37名の少年が来た事が掲載。

過疎地域の労働力として国から団体は補助を受けていた。

子供たちは収入源だったのだ。

Mは87年新聞に事実を書いた。まるで流刑の子供たち。

世間に知られ騒ぎになった。

レイシズム的発想、白人主義。隠蔽されていた。

誰が責任をとるのか・・

Mは支援のため、児童移民とラストを立ち上げる。

各家族を調べ、連絡し面会の活動を広げた。

30年ぶりに親と会えた子供たちの写真、喜ばれた。

世間も関心をもちだす

団体に聞いても、当時の記録はない。元々ない、

秘密文書など

と言われるだけ。脅迫電話もかかった。

家まできて脅された。

92年、Mあてに宛名のない手紙がくる。

「公文書のコピー」だった。そこには・・

児童移民案、戦争で孤児が多いという時代は魅力的。

政府が書いた文書だった。

国の責任、でも訴訟は困る。

団体は寄付が減る。

人口を増やすオーストラリアの国策でもあった。

もう親が死んでいる移民の子も増えた。

93年、TVドラマ「リバプールを離れて」はそのドラマ。

過酷だった移民制度、逃亡しても仕事はなく、

罪を犯す子供の悲劇ドラマで反響をよんだ。

議会で追及開始。93年下院から首相へ厳しい質問。

回答は、今住んでいいる国が問題だと。

英に責任はない。97年下院が調査開始。

政府の責任、移民への監視の欠如が大きかった。

1948年に児童移民の法律ができたが、団体へ丸なげした。

国は怠っていた。大き過ちだった。

2009年オーストラリアが移民たちを集め。

正式に謝罪をした。10年英も謝罪をした。

Mが手紙を受け取ってから20年経過していた。

驚きの国策、カトリック教会は、カナダでも同化教育を

先住民に強制。ここでも、やはり性的虐待もあった。

王室も関係していた。

エリザベスのしたたかさを思うと王室がか・・

納得した。

謝罪されても、もう過去のことなのに。

ないより、いいとしかいえない。

賠償金をとれないのか・・IDがわかって良かったとは感じた。

 



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