銀の人魚の海

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ETV特集 置き去りにされた子供たち 沖縄 戦争孤児の戦後

2023-06-26 | ドキュメンタリー NNN、Nスぺ、ガイア、BS世界のドキュメンタリー~など

NHKはこういうドキュメント制作は素晴らしいと思う。

辛い過去を背負う人生。途中とラストに、

大きく情報があればこちらへ、というお知らせが入る。

新刊「沖縄の生活史」予約中、このような話が語られるか・・

戦後、東京でも孤児が多数いたが、政府の保護はある程度はあった。

沖縄では全くなかった。

私は一体誰なんだ?70後半から80代の方々。

記憶喪失ではないが、自分がどこで、どうしてきたかが

わからない。

戦後、沖縄では軍が孤児のため10か所以上の孤児院をつくり

そこに身元不明の孤児たちを入れた。茣蓙孤児院が大きかった。

米軍が管理、親類をみつけ、身寄りがいない時は養子にだした。

最後の戦闘で、沖縄では人口の4人に一人が亡くなった。

孤児も多い。動物のように養子への家を待った。

きょうだい別々に引き取られたこともある。

学校には行けず、労働力として養子にされた子もいた。

字がかけない、戸籍がない。大人になり仕事もない。

米軍は、国から早く孤児たちをなんとか指示、

49年孤児院すべてを閉鎖した。

労働力として働き、軍の整備士になり働いてきた男性。

ベトナム戦争での修理などが多く需要があった。

恵まれているほうだった。

ある男性は結婚したが、2歳からのトラウマで

子供はもてない、辛い記憶がありすぎる。

妻は妊娠したが中絶、妻は先に他界した。

本土復帰後も国は調査はしていない。

2011年I弁護士がボランティアで

相談を受けつけていた。人生初めからの被害。

国はなにもしない。3年で600人の孤児が相談にきた。

基地問題はいまでも議論になるが

孤児は全くならない。

国に訴訟を起こすが、1,2審とも敗訴。国は責任はない。

東京の孤児も同じこと、「受任」しろと国はいった。

米兵にチャーリーと命名された男性は、これまでに

もしかしたら・・3つの姓に出会う。

1つは彼をみて確か、と言われ家族と再会し

皆で会食をしたが、その後だんだんと疎遠になる。

6歳、目が悪い祖母の世話で防空壕からでず、

家族とはぐれた。父は長く探した。

訴訟は最高裁でも棄却、弁護士は解散した。

78年前、大昔、見つかっても相手の事情もあるだろう。

ホームレス支援の方は、孤児で字も書けない、戸籍もない。

これまで、どうやって生きてきたのか・・驚きでしかない。

厚労省の調査では、S23年の戦争孤児は12万3500名。

ここに沖縄の孤児たちは入っていない。

わからないまま、78年経過した。

~東京の孤児たちも、どれほどの苦労をして生きたか。

沖縄では人数もわかっていない。

孤児院から、どこへいったか?病気、労働などで

亡くなった子どもが多いか・・

高齢になり、記憶もあいまい。町も大きく変化した。

戦争は悲劇しかうまない。



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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (名幸清貴)
2023-12-17 20:32:19
戦災孤児を父持ちますなんと言えませんが国の保証なく生きてきた父とって敗訴は残念ですまた戦争を起こすのでしょうか国はよくよく未来の子供達を考えないのでしようか
Unknown (名幸清貴)
2023-12-17 20:54:56
戦災孤児を父持ちます父はなんら国の保証もなく生きてきました貧しさは私達まで及びました未来の子供達に又戦争を味合わせる気なのか戦災孤児の解決がなければ又繰り返すだけです国はなんら自己の保有だけで生きている
コメントありがとうございます。 (アリエル)
2023-12-18 10:55:36
コメントありがとうございました。
このドキュメントは沖縄の孤児を主に制作しています。
ちょうど「沖縄の生活史」という岸政彦の本が出た頃でした。

貧困は戦争で孤児になれば、よほど良い出会いがない限り、連鎖します。

ウクライナの戦争、そしてイスラエル、一体人々は、どうなってしまったのか・・
人は戦いを好む?と思えるほどです。
戦争は語り継がなくても、最高の悪、に決まっています。

今の生活から、一気に、多数の物、人、事がなくなるのですから・・
今生きているすべての人の頭から、「戦」と言う字を無くしてほしいです。

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