東日本大震災から間もなく10年。
新聞、記者があるく、連載が始まっている。下記、ネットから一部。
新聞掲載を読み。
双葉病院で多数の死者が出たことは、少しして知った。
「遅れた批難 50人の死 救えなかったか」、28歳の記者は訪ねた。
東電を相手に裁判もあったが、全員無罪になった。
12日避難指示が出た。電話が不通。病院から役場へ行った職員が町に直談判した。
避難用のバス、ストレッチャーが必要~16日まで5陣に別れいわき市へ搬送した。
亡くなった50人は一陣のバスに乗れなかった患者だった。
2陣のバスを開けると異臭がし、亡くなっている方がいる。
オムツが外れ、点滴も外されていた。
避難の体育館は底冷えがし患者は衰弱した。どこで受け入れるか右往左往した。
遺族の一人は、母がいつ死んだかもわからない、という。~日頃としか。
遺体そばには、直前にあった卒業式のお花を供養に飾った。
この1年、コロナで、ほぼ会えず亡くなる方もいる。
10年前、双葉病院では、バスでひっそりと亡くなった方がいる。
50人という数大きい。原発事故がまた起きたら、
近くの病院の患者はどうなるのか・・
ネットから
〇私(28)が近づいているのは福島県大熊町にある「双葉病院」。
あの日、そばの系列の介護老人保健施設も含め、患者や入所者436人がいた。
町内に立地する東京電力福島第一原発が爆発して放射性物質が降り注ぐ中、救出活動は混乱した。全員の避難までに地震発生から5日かかり、約50人が死亡した。
救える命だったのでは――。その後の裁判の経過をたどっても、政府の事故調査・検証委員会の報告を読んでも疑問が晴れない。改めて現場に向かった。
350床あり、精神科を中心とした地域最大の病院だった。事故を起こした原発からは南西4・5キロ。放射線量が高く、今も立ち入りが厳しく制限される帰還困難区域にある。