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続;「膠観」

2013-10-05 16:06:56 | アルケ・ミスト
しめくくりに、私は事態を要約させていただく。

世界は閉じた物理系---厳格な決定論的体系であれ、厳格に決定されていないものは何であれすべて偶然にもとづくものとする体系であれ---とみなすのは不満足であることをわれわれは見た。

このような世界観に立てば、人間の創造性は人間的自由は幻想にすぎない。

量子論的不確定性を利用しようとする試みも、不満足である。
なぜなら、それは自由よりも偶然に、熟慮的決定よりも同時的決定に導くからである。

それゆえ私はここに異なった世界観---物理的世界を開いた系とする世界観---を提示した。

これは、思考と誤り排除の過程としての生活の進化観と両立しうる。
またそれは、生物学的新奇性の発現と人間的知識ならびに人間的自由の成長とを合理的に---十分にではないけれども---理解しうるようにさせる。

すべてこれらのことを考慮に入れた、そしてコンプトンとデカルトとの問題に対する解決を与える、進化理論を概説しようと私は努めてきた。

それは余りにも月並みでかつまた同時に余りにも思弁的に事を処理している理論である。

テスト可能な帰結がそれから算出できると私は考えるけれども、私は自分の提出した解決が哲学者の探し求めてきたものでると主張するものではさらさらない。

しかし、コンプトンは、この理論がその欠点にもかかわらず彼の問題に対する一つの可能な解答---そしてさらなる前進にと導きうる解答---を提示している、といったであろうと、私は思う。(完)





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