生理学
この時代に、化学と生理学との関係がどのように発展したかを簡単に検討してみることにしよう。
ライルが生命力についての自分の論文で表明した希望は、ゆっくりとしか実ってゆかなかった。
ある種の生命過程に関係のある重要な化学的発見の十分な意義は完全には理解されなかったという事実は、光合成および動物とヒトでの呼吸の双方の事実について言うことができるが、光合成は、プリーストリー、インヘンホウス、セネビエ、ド・ソシュールと引きつづいて明らかにされてきた事実であり、呼吸のほうは、ラヴォアジエ、ラプラス、セガン、クローフォードについて見出されきた一連の事実である。
長年の間、植物学者、植物生理学者、実地の農業従事者は、植物の炭素は空気からではなく腐植土に由来すると考えつづけていた。
呼吸と燃焼との類似を明らかにしたラヴォアジェの業績に関しては、ベルセーリウスは動物が体温を一定にしているしくみがまだまったく知られていないと、長年の間主張していた。
この奇妙な事情についての説明はあまりよくわかっていない。
この問題や他の点について、根拠のある解答を与えることが、科学史の今後の責務であろう。
しかし、体系的な形で、細胞説の詳細を仕上げたのは、プルキニェではなくてシュヴァンであった。
彼の「動物と植物の構造と成長の一致に関する顕微鏡的研究」という本は、1839年に出版され、その重要性はただちに認められた。
この本には、三つの主な部分があり、その中の最後の部分は、細胞の化学の問題を直接とり上げているので、われわれにとって特に興味深い。
シュヴァンは、生命の基本的な根拠の開明に対する、生気論的なとり上げ方と機械論的なとり上げ方の相対的な利点の考察から、この主題に入って行っている。
当時の偉大な生理学者、ごく一部を挙げるだけでも、マジャンデイー、ミュラー、プルキニェなどのすべての人が、この問題に悩まされていたのであるから、これは異常なことではない。
マジャンデイーは、機械論的唯物論の影響を受け、ミュラーは、ドイツ観念論の影響を受け、プルキニェは基本的には観念論者であったが動揺していた。
その過程ははっきりしないが、シュヴァンは終局的には、機械論の側についた。
このことで、「栄養と生長の原因は、生物全体にではなくて、個々の部分、つまり細胞のものである」という重要な結論に彼は到達した。
この機械論的な考え方は、その後以下のようなすぐれた観察事実でやわらげられた。
「細胞内に存在する力の発現は、全体としの関係を通じてのみそれに与えられれ条件に依存している」
シュライデンに従ってシュヴァンが細胞原基cytoblastemeと呼んだ基本的な物質中で、細胞が生じると、プルキニエと同じように、シュヴァンも誤って信じていた。
細胞は、細胞原基から物質を吸引して、これを化学的に変えることができるとシュヴァンは考えていた。
「その他に、細胞のすべての部分はその成長の途中で化学的に変化することができる。これらのすべての現象を細胞の代謝的な現象の用語のもとに要約することができるが、それらの未知の原因を、代謝力metabolic forceと呼ぶことにしたい」と書いている。
代謝という言葉が現代の生化学的な意味で用いられたのは、おそらくこれが最初であろう。
シュヴァンの他の成果について述べるだけの紙面がない。
たとえば、シュヴァンは「コロイド」という言葉こそ用いなかったが、生体物質のコロイド状態についてその本の中で考察している。
余滴
コロイドという造語はトーマス・グレハムによって1861年に著されているが、研究社の「英語語源辞典」(寺沢良夫)によれば、その始めは1847-1849年頃には、膠質のコロイド性の使用例を認めている。その考察は別の機会扱おうと思う。
この時代に、化学と生理学との関係がどのように発展したかを簡単に検討してみることにしよう。
ライルが生命力についての自分の論文で表明した希望は、ゆっくりとしか実ってゆかなかった。
ある種の生命過程に関係のある重要な化学的発見の十分な意義は完全には理解されなかったという事実は、光合成および動物とヒトでの呼吸の双方の事実について言うことができるが、光合成は、プリーストリー、インヘンホウス、セネビエ、ド・ソシュールと引きつづいて明らかにされてきた事実であり、呼吸のほうは、ラヴォアジエ、ラプラス、セガン、クローフォードについて見出されきた一連の事実である。
長年の間、植物学者、植物生理学者、実地の農業従事者は、植物の炭素は空気からではなく腐植土に由来すると考えつづけていた。
呼吸と燃焼との類似を明らかにしたラヴォアジェの業績に関しては、ベルセーリウスは動物が体温を一定にしているしくみがまだまったく知られていないと、長年の間主張していた。
この奇妙な事情についての説明はあまりよくわかっていない。
この問題や他の点について、根拠のある解答を与えることが、科学史の今後の責務であろう。
しかし、体系的な形で、細胞説の詳細を仕上げたのは、プルキニェではなくてシュヴァンであった。
彼の「動物と植物の構造と成長の一致に関する顕微鏡的研究」という本は、1839年に出版され、その重要性はただちに認められた。
この本には、三つの主な部分があり、その中の最後の部分は、細胞の化学の問題を直接とり上げているので、われわれにとって特に興味深い。
シュヴァンは、生命の基本的な根拠の開明に対する、生気論的なとり上げ方と機械論的なとり上げ方の相対的な利点の考察から、この主題に入って行っている。
当時の偉大な生理学者、ごく一部を挙げるだけでも、マジャンデイー、ミュラー、プルキニェなどのすべての人が、この問題に悩まされていたのであるから、これは異常なことではない。
マジャンデイーは、機械論的唯物論の影響を受け、ミュラーは、ドイツ観念論の影響を受け、プルキニェは基本的には観念論者であったが動揺していた。
その過程ははっきりしないが、シュヴァンは終局的には、機械論の側についた。
このことで、「栄養と生長の原因は、生物全体にではなくて、個々の部分、つまり細胞のものである」という重要な結論に彼は到達した。
この機械論的な考え方は、その後以下のようなすぐれた観察事実でやわらげられた。
「細胞内に存在する力の発現は、全体としの関係を通じてのみそれに与えられれ条件に依存している」
シュライデンに従ってシュヴァンが細胞原基cytoblastemeと呼んだ基本的な物質中で、細胞が生じると、プルキニエと同じように、シュヴァンも誤って信じていた。
細胞は、細胞原基から物質を吸引して、これを化学的に変えることができるとシュヴァンは考えていた。
「その他に、細胞のすべての部分はその成長の途中で化学的に変化することができる。これらのすべての現象を細胞の代謝的な現象の用語のもとに要約することができるが、それらの未知の原因を、代謝力metabolic forceと呼ぶことにしたい」と書いている。
代謝という言葉が現代の生化学的な意味で用いられたのは、おそらくこれが最初であろう。
シュヴァンの他の成果について述べるだけの紙面がない。
たとえば、シュヴァンは「コロイド」という言葉こそ用いなかったが、生体物質のコロイド状態についてその本の中で考察している。
余滴
コロイドという造語はトーマス・グレハムによって1861年に著されているが、研究社の「英語語源辞典」(寺沢良夫)によれば、その始めは1847-1849年頃には、膠質のコロイド性の使用例を認めている。その考察は別の機会扱おうと思う。