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現代生化学

2013-04-12 09:00:00 | colloidナノ
生理学

この時代に、化学と生理学との関係がどのように発展したかを簡単に検討してみることにしよう。

ライルが生命力についての自分の論文で表明した希望は、ゆっくりとしか実ってゆかなかった。

ある種の生命過程に関係のある重要な化学的発見の十分な意義は完全には理解されなかったという事実は、光合成および動物とヒトでの呼吸の双方の事実について言うことができるが、光合成は、プリーストリー、インヘンホウス、セネビエ、ド・ソシュールと引きつづいて明らかにされてきた事実であり、呼吸のほうは、ラヴォアジエ、ラプラス、セガン、クローフォードについて見出されきた一連の事実である。

長年の間、植物学者、植物生理学者、実地の農業従事者は、植物の炭素は空気からではなく腐植土に由来すると考えつづけていた。

呼吸と燃焼との類似を明らかにしたラヴォアジェの業績に関しては、ベルセーリウスは動物が体温を一定にしているしくみがまだまったく知られていないと、長年の間主張していた。

この奇妙な事情についての説明はあまりよくわかっていない。
この問題や他の点について、根拠のある解答を与えることが、科学史の今後の責務であろう。


しかし、体系的な形で、細胞説の詳細を仕上げたのは、プルキニェではなくてシュヴァンであった。

彼の「動物と植物の構造と成長の一致に関する顕微鏡的研究」という本は、1839年に出版され、その重要性はただちに認められた。
この本には、三つの主な部分があり、その中の最後の部分は、細胞の化学の問題を直接とり上げているので、われわれにとって特に興味深い。

シュヴァンは、生命の基本的な根拠の開明に対する、生気論的なとり上げ方と機械論的なとり上げ方の相対的な利点の考察から、この主題に入って行っている。

当時の偉大な生理学者、ごく一部を挙げるだけでも、マジャンデイー、ミュラー、プルキニェなどのすべての人が、この問題に悩まされていたのであるから、これは異常なことではない。

マジャンデイーは、機械論的唯物論の影響を受け、ミュラーは、ドイツ観念論の影響を受け、プルキニェは基本的には観念論者であったが動揺していた。

その過程ははっきりしないが、シュヴァンは終局的には、機械論の側についた。

このことで、「栄養と生長の原因は、生物全体にではなくて、個々の部分、つまり細胞のものである」という重要な結論に彼は到達した。
この機械論的な考え方は、その後以下のようなすぐれた観察事実でやわらげられた。

「細胞内に存在する力の発現は、全体としの関係を通じてのみそれに与えられれ条件に依存している」

シュライデンに従ってシュヴァンが細胞原基cytoblastemeと呼んだ基本的な物質中で、細胞が生じると、プルキニエと同じように、シュヴァンも誤って信じていた。
細胞は、細胞原基から物質を吸引して、これを化学的に変えることができるとシュヴァンは考えていた。

「その他に、細胞のすべての部分はその成長の途中で化学的に変化することができる。これらのすべての現象を細胞の代謝的な現象の用語のもとに要約することができるが、それらの未知の原因を、代謝力metabolic forceと呼ぶことにしたい」と書いている。

代謝という言葉が現代の生化学的な意味で用いられたのは、おそらくこれが最初であろう。

シュヴァンの他の成果について述べるだけの紙面がない。
たとえば、シュヴァンは「コロイド」という言葉こそ用いなかったが、生体物質のコロイド状態についてその本の中で考察している。


余滴
コロイドという造語はトーマス・グレハムによって1861年に著されているが、研究社の「英語語源辞典」(寺沢良夫)によれば、その始めは1847-1849年頃には、膠質のコロイド性の使用例を認めている。その考察は別の機会扱おうと思う。

現代生化学

2013-04-11 09:00:00 | colloidナノ
「現代生化学の歴史的基礎」  ミクラシュ・タイク

生化学は、19世紀の終わりに現代的な段階へと成熟した。
その形成には哲学、自然科学、それに社会的ないろいろの影響が役立っていて、もちろん、この短い章の範囲では、この問題を十分に取り扱うことは不可能である。
ここでは、発展のつぎつぎの段階の概要を述べることにしたい。

現代生化学の発展には、生命の化学が、化学全体から次第に分離して有機化学を形成したこと(1800年から1840年にかけて)が関係しているように私には思われる。

この後、有機化学は生理学と結びついた(1840-80年頃)。
最後に、今日知られているような現代生化学が生理学から分離した。

生命力
....基本的には、鉱物と生物に由来するものとの間には化学的には差異がないと示された。
このことは、ラヴォアジェの考えにもすでに認められ、自分の酸化の理論を無機の化合物にも有機化合物にも同じように適用していた。

無機の化合物にも、有機化合物の分析で見出されるような元素が含まれている。

フルクロア(ヴォークラン)やその他の人たちは、無機の化合物は、二因子性、つまり二種類の元素を含んだものか、それともこの二因子性の
物質に由来したものであり、有機化合物は三因子性か四因子性であると考えられると主張した。

当然以下のような疑問が生じる。

同一の元素がある場合には無機の化合物をつくり、他の場合には有機化合物つくることができるという現象の基礎は何であろうか?
その説明は、生命力の存在に求められた。

この言葉は、1774年にフリードリッヒ・カシミール・メデイクスが言い出したものだが、それを最初に体系的にとりあげたのは、20年後で、明らかに、当時化学に見られた変化の変化の結果である。

1795年6月に、「生理学紀要archiv fur die physiologie」の第1号が出版された。

これは、ヨハン・クリスチャン・ライルが出版したもので、彼は当時ハレ大学にいた。
この新しい雑誌の最初の論文は、ライルによる「生命力についてvon der lebenskraft」という題のものであった。
ライルの提示は、実験的な知識と理論的考察とをどのように混ぜるかについての立派な例で、ドイツの自然主義哲学者の極端な代表に特徴的な夢想の奔流の跡はなかった。

経験で確認できなような考えから動物の生命現象は推論できるものではないと、ライルは強調している。

彼の主な理論的な主張は、生体の示す現象は物質的な条件にもとづくという点にあった。
彼は次のように述べている。

生物界に属する現象を、無生物的な自然では見いだすことはないが、これは無生物界に見出すことができない有機物質の特徴に依存している。

しかし、ある種の物質に欠けている特別な性質を、他のすべてのものに否定することができるだろうか?
スズや石や木材に磁性が認められないからといって、鉄の磁性を物質以外の何かへと推論する必要があるのだろうか?



ドイツの自然主義哲学者の極端な代表に特徴的な夢想の奔流の跡を、Willhelm Osotwaldはもとより、その息子にも見てとったのはUta Deichmann女史であった。この件は別の機会に譲りたい。


みち草・・・・ビタミン

2013-04-10 09:00:00 | colloidナノ
ビタミンの発見

序  19世紀を通じて、化学者は徐々に食品を分析する考察し、これらが、主として三種類の有機化合物、つまり、タンパク質、脂肪、炭水化物がいろいろな無機塩と水と一緒になってできていることを確かめた。

ここに数え立てた成分で、量的にはほど化学的分析の100%に達することが示された。
したがって、これらが問題になるすべてであると考えるのは自然なことであった。

こうして、20世紀の初頭には、食品の栄養価をこれらの物質によって定義するのが実際的なこととして容認されていた。

しかし、その後、今世紀の最初の四半期の間に----スイスのルーニン、ジャワのエイクマン、そしてとくにイギリスのホプキンズなど、もっともきわだった人たちの名をあげるだけにしたが、これらの人たちの研究につづいて----これらの十分に認められてきた主成分と同じく食品中に栄養上問題となるもっと別のものがあることが明らかとなってきた。

この新しく検出されるようになった成分は、食品中にきわめて微量に存在しているが、しかし、それなのに健康の維持にとって不可欠なもので、ビタミンとして知られるようになった。

実際に、このビタミンという言葉は(もともとは語尾にeをつけてvitamineと綴られていた)、当時ロンドンのリスター研究所で働いていたフンクがつけたものである。

この言葉は、まずこの物質が生物の生存に枢要である(vital)こと、および第二番目に少なくともその中のいくつかは化学的な性質が塩基性である、つまり「アミン(amine)」であることを意味するようにと彼が意図してつけたものである。


ビタミンの歴史のその最初には「壊血病、脚気、くる病の実験的治療」である。

壊血病---水夫たちの昔からの天罰---の治療の最初の記録と思われるものを求めると16世紀までさかのぼらなければならないが、これはトウヒの葉の煮出し汁、オレンジとレモンによる処置であった。

ジェームズ・ランカスター卿がこの病気の予防法として東インド会社の船にオレンジとレモンを規則的に利用するようにしたのは、17世紀の初期(1601年)であった。
他の多くの人たちが、17世紀と18世紀に、新鮮な果物、野菜が壊血病の治療や予防に有効であることをくりかえし確認していた。

1804年に、イギリス海軍では、毎日レモン・ジュースを摂ることを義務づけられた。

1882年に、高木は食品のある種の変化で日本の海軍での脚気を追放できることを見出した。しかし、この治療の原因となったのはタンパク質摂取量の増加であると彼は考えた。

このように、これらの二種類の病気---脚気と壊血病---の制御に食物による治療が発見されてはいたが、原因となる栄養上の本性は知られていままであったと言ってよいであろう。

しかしブッドという名の達識の医師が1840年に「必須成分の欠乏のために壊血病がおこり、この成分は、遠くない将来に、有機化学者か生理学者の実験で発見されると述べても、達観しすぎではない」と予言していることを括弧につつんで思い出しておいてよいであろう。

19世紀の終わりの頃には、小児科医が「壊血病が壊血病性の食事で生じるように、くる病もくる病の食事で生じるのは確かである」という意見を述べ始めた。

写真 ③ 高木兼寛軍医総裁、1882年に日本海軍の脚気を根絶した。


みち草・・・・神経系

2013-04-08 09:00:00 | colloidナノ
結論

ニューロンとその存在部位の脳の生化学的特徴と組織化学的特徴のいくつかは、こうして、数世紀にわたる人類の思考と努力によって明らかになってきた。
これらの研究で、脳に二種類の基本成分のあることが示された。

① 血液による低分子物質の供給 これらの物質がニューロンの生存に不可欠なエネルギーを提供し、また、高分子物質でできた構造の補充に必要な成分と、伝達作用のある物質の合成の素材を提供する。

② 高分子物質 これらは、ほとんど無限ともいうべき多様性を示し、ニューロンの電気的活動や、人類の思考と記憶の型が依存している動的な組織を形成する。
これらの高分子物質には、(a)多様な電気的活性と、絶縁のために必要な一定方向に並んで型を形成している脂質と、(b)酵素的、構造上、および栄養上の機能を示すタンパク質と、(c)第三番目の一群の物質とがあり、これらはすべての身体の構築材の中でおそらくもっとも区別の多いもの----つまりニューロンの核酸である。

これらの中の最後のものは、アウグストス・ワラーがあれほどみごとに明示したニューロンの物質の永続的な「再生renovellement」の原因となっている。

脳の組織と機能についてのこのような考えは、トマス・ウィリスのものに似ている。
彼は、「脳が精神の主な工場であり仕事場であり」、また、精神の元気さは、「精神的な機能の多様な活動のために引き出されるようにと、特定の細胞集団に保存されているかのうように脳に存在して」、脳の内部で血液から「新しく生み出される」と主張している。

研究者がさらにニューロンの複雑さを見出し、究明するとともに、果てしない未知を後ろにして、どんどん後退してゆくような障害が見せつけられる。
しかしながら、絶え間のない、また時には目をみはらせるような進歩にもかかわらず、精神の詳細なしくみとその棲み家の脳についてごくわずかしか知られていないと気づいてためになると思う。

セント・ポールの暗いメガネを通してとか、イマニュエル・カントがあれほど明瞭に想定した人類の直感とカテゴリーの形でゆがめられた媒体の手段によって、より以上に明確には何ものも精神によって、眺められたり、精神について知ったりはできないようなものというのが、人間の精神の本質なのかもしれない。

しかしながら、追求は熱心につづけられ、おそらく探求がわれわれにとって現実へのもっとも近いとり上げ方であろう。
満足しすぎのケプラーとニュートンへの追随者というアレキサンダー教皇による批判は、われわれ自身を説明する自分たちの能力に信頼し切っている、精神の模型や電子工学的な脳からの推論に対して、現在特に適切にあてはめてよい。教皇の要約的な次の言葉を想起するのがよいことであろう。

速やかに動く彗星を結びつけるような法則の持ち主でも、
自分の心を一瞬をも記述したり固定したりできるだろうか。

これらの言葉が、1734年にそうであったと同じ程度に、それらは今日でも真である。









みち草・・・・神経系

2013-04-07 09:00:00 | colloidナノ
高分子の構造と記憶

電気的活動の単なる型が思考の基盤の全部だとすれば、脳震盪の昏睡の後では、以前のすべての思考は死滅し、決してもどってこないはずである。
したがって、ニューロンの高分子物質の寄せ木模様に何らかの変化が刷り込まれていると仮定しなければならず、ニューロンは何といっても「身体の中のもっとも多様化された化学実験室である」---これはトウデイクムの暗喩である。

タンパク質と脂質でできた高分子物質は、ほとんど無限というべき思考の目標を証明できるほど複雑ないろいろな型の集団を構成している。

ニューロンの表面膜の局部的分極の型に電気活動が依存しているが、この型は、脂質とタンパク質分子の組成と配置の多様性に依存しているのであろう。
入力のインパルスが、ニューロンの表面で一方向に向いた脂質に一時的な変化をつくり出すのであろう---この変化の型が、細胞の内部からの相補的なペプチドの型は、表面に新しく同一の脂質の型をつくる鋳型となり、こうして、新しい印象がその源となったときと同一の電気的活動の型が永続的になるのであろう。

このようなペプチドは、最初はすごく少量しか存在しないと考えられる。
遺伝子情報内の対応するDNAの活性を特異的に抑制している調節遺伝子の作用によって、ペプチドの合成は初めて抑えられているのであろう。
細胞の表面にある相補的な脂質の型に吸収されて、ある型のペプチドが除去されると、この抑制の作用が停止されるのであろう。

その後は、遺伝情報内の対応する部分は抑制からはずれて、対応するメッセンジャーRNAを合成し、つづいてこの同一のペプチドがつくり出されるであろう。

こうして、新しいペプチドの型の合成と、新しい脂質を再び同じ型につくることと、電気的活動の型のからくりが、永続的な記憶と思考の記録の目録に記入されることになるのであろう。

この考えは電気的な活動が思考の過程に不可欠であるという点を容認しているが、思考と記憶についてのは、単なるインパルスの型以上のものが基礎となっていると想定している。

高分子物質でできたニューロンの構造に押しつけられたような基礎的な型があると考えるほうがもっともらしく思われる。
このような高分子物質のモザイクが、電気的な型を再生できるのであろう。

これらの型が一時的に消失してしまっても、抑制のはずされた遺伝情報の部分の優勢な影響のもとにその型は再生することができる。(震盪によって消滅させられる)。

最近の記憶の結果が短命なことは、脂質とタンパク質のそれぞれの新しい型がひきつづいて再生されるために必要な合成のしくみが、ただちに活動するように引き金が引かれないことを意味している。

しかし、一度抑制がはずされると、遺伝的なDNAのそれぞれの部分は、対応するRNAを合成しつづけ、脂質とタンパク質の新しい構造が、細胞の永続的な型の一部になってしまう。

このことで、記憶の永続性が説明でき、またニューロンの代謝のもっとも顕著な特徴、すなわち、タンパク質を激しく合成するというみごとな能力と、またそれにも劣らず重要な鋳型が分解されてしまったときにのみ、つまりそのものに特異的なタンパク質の合成を進めることができなくなったときだけ、記憶は最終的にまた回復不能な形で失われてしまう。


みち草・・・・神経系

2013-04-06 09:00:00 | colloidナノ
一時的および永続的記憶

しばらく続く脳の不応期と、電気的活動の途絶を伴った昏睡の原因となる脳震盪の後、この事故の直前の出来事について退行性の記憶喪失が普通にみられる。

もっとも近い時期に起こった事象は、実際には、記憶には消えやすい形で印象づけられていて、消し去ることができる。

しかし、もっと古は通常不変で永続的なので、再び意識が回復したときに取り戻される。

ずっと以前の事象についての同様に永続的な記憶は、最近の出来事が消えるようになった老人において明瞭である。

こうして、記憶は1つは1時的で、他は永続的な二つの段階があるように見受けられる。

どの考えについても、1度永続的な条件に達すると、それは明らかに、心の記憶にいつまでも印象づけられている。


みち草・・・・神経系

2013-04-05 09:00:00 | colloidナノ
脳の構造と思考

動物の脳における電気的な活動は、1875年にリチャード・カトンによって最初に発見された。
彼は、外界からの刺激とは無関係な自然発生的な活動も、感覚と運動の現象に関連づけられる局所的な電位の変化も記述している。

1929年にハンス・バーガーが、ヒトの脳皮質の電位の周期的な変化に、最初に注目した。
それから、E.D.エードリアンの精巧な実験で、ヒトの皮質の電気的活動が、ここでの緊張と思考の過程に関連があることが確立された。

ずっと新しくなって、ラシュリーは、三角形の認知などのような視覚上の概念が視覚野で形式化されることを示した。
皮質の細胞とそれらの連結用の成分でできた無数の局部的な回路での共鳴と干渉で思考が形成されているのであろうと提案した。

K.W.クライクは、さらに、この考えを発展させて、物理的な存在の象徴的なモデルが、思考の基本的な内容であり、またこれらの小規模のモデルは、脳の電気的活動の図式から作り出せると考えた。

しかし、われわれの観念が外界の実体を表現するだけだとのロックの理論や、事実、またカントの現象の概念と、この種の模式図とはあまり違っていない。

後者のカントの考えでは、実在の世界の本体noumenaのわれわれの内部での単なる表現と考えられている。
この本体は、物自体で、われわれが決して直接観察できず、感覚の過程の長い連鎖を通じてのみ観察できるものである。


生化学者にとっては、これらの電気的な活動の型の物質的基盤が、思考と記憶にとってもっとも基本的なもののように考えられる。

クライクは「説明の本質Nature of explanation」に関する著書の中で、「おそらくシナプスでの抵抗に依存したもっと永続的な何かの形式が、記憶を説明するために仮定されなければならないだろう」という難点を十分に理解していた。

記憶の永続性を説明するこの難点は、思考が単に電気的な活動の型に依存しているというどの仮説にも本質的なものである。

エードリアンは、「感覚の物理的基盤Physical background of perception」という著書の中で、この難点をきわめて強く指摘している。

彼は「記憶の痕跡が、活動の型であるならば、この型は活動していない時期の後で再現される傾向がなければならない」と書いている。

事実、深い麻酔のときのような中断後の「永続性を説明するためには、何らかの物質的な変化が必要である」と提案している。

しかし、エードリアンも、「記憶の物理的基盤は、共鳴の型のような性質のもので、・・・・全皮質を通して存在する局在性の回路で確立されたもの」という考えを受け入れている。

たしかに、とくに記憶の記録がこれほど長年にわたり永続的であるのだから、このことがすべてではありえない。

みち草・・・・神経系

2013-04-04 09:00:00 | colloidナノ
脳の構造と思考

動物の脳における電気的な活動は、1875年にリチャード・カトンによって最初に発見された。

これらの反応はカリウム・イオンで促進され、ニューロンからナトリウム・イオンを放出し、カリウム・イオンの細胞内濃度を回復するために、活動後に余分のエネルギーが供給されるようにと自然の「フィードバック」のしくみになっているのであろう。

こうして、脳の組織に対するカリウム・イオンの重要な影響は、組織切片での実験で明らかにされてきたが、生きて活動している神経細胞の中で恒常的に起こっている、かなりの強度の代謝上の調節を反映しているものであろう。


他方、嫌気性の条件のもとでは、カリウム・イオンは、脳の皮質の組織切片の解糖に、迅速で激しい阻害効果を及ぼす。

虚血部のニューロンの周囲には、その前の神経活動のためにか、組織の損傷または出血のために、局所的にカリウム・イオンが過剰に存在しているであろう。

このような条件のもとでは、虚血部の神経細胞は、嫌気性の解糖によって供給される主な残りのエネルギー源をも奪われることになるであろうし、解糖自体もカリウム・イオンによってかなり阻害されていよう。

虚血による損傷に対する脳のニューロンの特有の傷つけられやすさは、つまり、部分的にはエネルギーの連続的な供給に対する要求がこれほど強い組織での酸化的リン酸化の停止によるとともに、皮質の嫌気性解糖に対するカリウム・イオンの阻害効果にもとづいているのであろう。


みち草・・・・神経系

2013-04-03 09:00:00 | colloidナノ
栄養的な低分子物質の定常的な補給

グルコースと酸素の継続的な補給によって、灰白質の活発な解糖と呼吸が維持されている。

これらの発エルゴン反応から自由エネルギーが、ATPやその他の高エネルギー・リン酸結合を持つ化合物の合成に役立ち、それらが、タンパク質の合成やRNAの再生を支えている。

解糖と呼吸は、また、ニューロンの活動の後でのイオンの配置を回復するために必要なエネルギーを供給しているのであろう。

この点で、おそらく、それらはATPやその他の高エネルギー・リン酸結合を具えた化合物の介在を通して作用しているのであろう。

すでにインパルスの伝達の間にナトリウム・イオンが神経に入り込み、カリウム・イオンが放出されるならば、ニューロンの外観の液でのカリウム・イオンの濃度が上昇し、同時にナトリウム・イオンの濃度が低下するはずである。

事実、まさしく、イオン的な状況のこのような変化は、脳での好気的解糖と呼吸を高めるような重大な影響をおよぼすことが知られている。

好気的解糖と呼吸を促進するうえでのこの顕著なカリウム・イオンの作用から、放出されたカリウム・イオンによってひきおこされた代謝の活性化の波が、脳の正常な活動に付随するものであろうと考えられるようになった。

灰白質の電気的刺激も、解糖と呼吸を高める。

そのうえで、電気刺激によって放出されたカリウム・イオンが、この増加の原因であると現在考えられている。

事実、電気的刺激で処理して放出されるカリウムが代謝を促進し、こうして放出されたカリウム再吸収に必要なエネルギーを供給する。
そこで、正常な活動の際に放出されるカリウム・イオンで増進された解糖と呼吸が、活動中の脳の代謝の重要な部分を占めていると考えに戻るのが合理的であろう。

これらの反応はカリウム・イオンで促進され、ニューロンからナトリウム・イオンを放出し、カリウム・イオンの細胞内濃度を回復するために、活動後に余分のエネルギーが供給されるようにとの自然の「フィードバック」のしくみになっているのであろう。

こうして、脳の組織に対するカリウム・イオンの重要な影響は、組織切片での実験で明らかにされてきたが、生きて活動している神経細胞の中で恒常的に起こっている、かなりの強度の代謝上の調節を反映しているものであろう。

他方、嫌気性の条件のもとでは、カリウム・イオンは、脳の皮質の組織切片の解糖に、迅速で激しい阻害効果を及ぼす。

虚血部のニューロンの周囲には、その前の神経活動のためにか、組織の損傷または出血のために、局所的にカリウム・イオンが過剰に存在しているであろう。

このような条件のもとでは、虚血部の神経細胞は、嫌気性の解糖によって供給される主な残りのエネルギー源も奪われることにるであろうし、解糖自体もカリウム・イオンによってかなり阻害されていよう。

虚血による損傷に対する脳のニューロンの特有の傷つけられやすさは、つまり、部分的にはエネルギーの連続的な供給に対する要求がこれほど強い組織での酸化的リン酸化の停止によるとともに、皮質の嫌気性解糖に対するカリウム・イオンの阻害効果にもとずいているのであろう。


みち草・・・・神経系

2013-04-02 09:00:00 | colloidナノ
永続的で自己複製的な高分子構成

ニューロンは分裂することができないのだから、それぞれの細胞の中での再生と合成は、「生涯」つづくものでなければならない。

ニューロンによって利用される多量のタンパク質をつくり出すために必要なRNAが、この細胞内再生によって供給される。
タンパク質は、まず第一に、軸索奬の末端の方向への連続的な流れを供給するために必要である。

すでに述べたように、ワイスとヒスコーは、この軸索のタンパク質が、神経で形成されるアンモニアの素材であるという考えを提案した。
つまり、タンパク質が末梢の神経を維持するためのエネルギーを供給しているのかもしれない。

ニューロンで念入りに合成されるもう一つの種類のタンパク質は、視床下部に源をもつ神経分泌物質である。

E.シャーラー、B.シャーラーとW.フォン・バーグマンの研究から、脳下垂体の後葉の活性物質は、視床下部のこの神経分泌産物にもとづくことが示された。
C.W.M.アダムズとJ.C.スロパーは、この物質がヒトの視床下部のニューロンの細胞体にみられることを示し、これがシスチン含量の高いタンパク質であることを示した。

この特別な栄養タンパク質のほかに、ニューロンには、他の細胞と同じように、細胞体と樹状突起に豊かに存在しているRNAによって合成される酵素タンパク質および構造タンパク質の全体が含まれている。