MIHOの旅

私は海外旅行先を選ぶ際に他の方の旅行ブログを参考にしています。私のブログもご参考になれば幸甚です。

ウズベキスタン旅行 その36 サマルカンド(16) シャーヒズィンダ廟 前編

2011-10-16 05:52:43 | ウズベキスタン旅行
シャーヒズィンダ廟はティムールゆかりの人々の霊廟が建ち並ぶ「死者の通り」です。
シャーヒズィンダとは「生ける王」という意味だそうです。
こちらはウルグベクが建てた門。学者のウルグベクが建てた感じがなんとなくします。


今でも巡礼に来る人が多いそうです。
尚、案内は英語が一番最後…


門をくぐると階段があります。天国の階段と呼ばれています。
おまじないがあって、行きと帰りで階段の段数が同じだと天国に行けるそうです。


結構、長い階段です。なので、数が分からなくなる…


階段の途中にいかにもこれからお墓を作る予定でした!という場所がありました。


階段の途中にあるコシュ・グンバズ廟。15世紀に建てられました。
ウルグベクの天文学の先生の墓とも、ティムールの乳母の墓とも言われています。


コシュ・グンバズ廟から見たサマルカンドの街並み。ビビハニムモスクが見えます。
夕陽も綺麗です。


コシュ・グンバズ廟の裏側はこんな感じ。綺麗な廟です。


天国の階段を登りきると死者の通りが現れます。


沢山の廟が並びます。


トゥグル・テキン廟。1376年。
ティムールの部下の将軍フセインの母のお墓らしいです。


アミールゾダ廟。1386年。
ティムール軍の将軍の息子の墓。




シリンベク・アカ廟。1385年。
ティムールの妹の墓。


シャーヒズィンダ廟の中で一番美しいといわれる廟。なのに写真がボケボケ…


八角形の廟。15世紀のもの。


八角形の廟を過ぎると通りは開けた通りになります。


ポツンポツンといくつかの廟が並びます。誰のものかは不明。
タイル装飾がないと、シンプルと言うか、やっぱり質素な感じがします。


案内盤によると11のUSTOD ALI QURGAN廟。


ここにもお墓予定地が…


簡単な廟もあります。

ウズベキスタン旅行 その35 サマルカンド(15) アフラシャブ博物館編

2011-10-15 05:23:44 | ウズベキスタン旅行
サマルカンド市の歴史が展示されているアフラシャブ博物館を見学しました。


面白い建物。


カメラを撮りたい場合は撮影許可料を払えば大丈夫です。


博物館前は大きな広場になっています。
ウウべキスタンは土地が余っているな…


11の時代に分かれての展示になります。


土器時代から始まります。


土器時代は世界中どこも同じような生活…




サマルカンドが貿易の中継都市として栄えていた頃のシルクロード。
中国の唐の時代、ソグド人がヨーロッパと唐の交易を支えていました。


紀元前のアレクサンダー大王時代のコイン。




交易に使った印鑑だったと思う…


ゾロアスター教の埋葬の説明を受けた覚えがあります。


以下は見どころの7世紀のソグド人支配時の宮殿から見つかったフレスコの壁画。
別室には宮殿と同じ面積の部屋になっていて、宮殿の様子も良く分かります。
戦の様子。


壁画の前には復元図があるので、なんとか分かります。


婚礼の行進。


交易での朝鮮人の壁画も。








交易の船の様子も。ウズベキスタンは海のない国なので、旅をしてきたソグド人が
描いたに違いありません。この当時から、世界を旅していた人がいるんだなと思うと
凄いなあ…


壁画は一見の価値があるので、時間がある方にはお薦めです!

ウズベキスタン旅行 その34 サマルカンド(14) アフラシャブの丘編

2011-10-14 05:51:57 | ウズベキスタン旅行
アフラシャブ博物館の裏からアフラシャブの丘に登ることができます。


サマルカンドは13世紀にモンゴル軍に破壊される前はアフラシャブの丘付近が街の中心地でした。
古代ギリシャ時代にはマラカンダと呼ばれた緑豊かなオアシス都市として繁栄していました。
唐の時代、玄奘が立ち寄った際には豊かな都市としての記述があります。
シルクロードの中継都市として栄えていました。


アフラシャブとは伝説のソグド王から撮った名前だそうです。


12世紀ごろには15万人都市となっていて、道路は舗装され、水道が各家庭に引かれていた
そうです。


1220年にモンゴル軍に攻められると10日で砦は落城し、殆どの住民は虐殺されてしまいました。
今は見る影もありません。


城壁(シタデル)の跡があるものの、現在は何もありません。




丘に奇妙な穴が沢山ありました。
ガイドさんに聞いてみるとモグラの穴だそうです。




今はラクダ草を食べに放牧が行われているようでした。

ウズベキスタン旅行 その33 サマルカンド(12) ウルグベク天文台博物館編

2011-10-12 05:44:03 | ウズベキスタン旅行
ウルグベク天文台跡の隣に建てられた博物館は2009年にオープンしたため、新しい綺麗な博物館でした。
ちなみに写真はフラッシュが禁止。撮っても全然怒られません。

入口にはウルグベクの大きな肖像画。


ティムールは軍人として一大帝国を作り、ウルグベクは天文学、神学、歴史と学問、文化を重んじ、
ティムール朝のイスラム文化を開花させた人物。





ウルグベクの時代、ティムール朝は中央アジアおよびヨーロッパ、アフリカの一部まで
支配をしていました。




ウルグベクは既に紹介したグル・アミール廟に埋葬されていますが、ロシア人の研究により、
ウルグベクが断首されて埋葬された事が分かっています。
ウルグベクはイスラム信者に騙された息子によって殺されました。
以降、ティムール朝は衰退していきます。


こんなパネルが沢山並んで説明が書かれているのですが、
結局はガイドさんの説明を聞いて回ります。

ウルグベクは当時1年を365日6時間10分8秒と計算をしています。
今日では1年は365日6時間9分9.6秒とされていて、ほとんど誤差がありません。
ガリレオの登場する100年前で既にこのような計算がされていました。
驚異です。

又、1437年に完成させたウルグベク天文表は1018の星の軌跡を記録してあり、
後に弟子によってコンスタンチノーブルに持ち出され、ヨーロッパで翻訳され、
世界的に広まります。

また、ウルグベクの記憶力は驚異的であることも有名だそうです。
幼児期にコーランを全て暗記。
狩猟記録保管係がかなりの量が記載済みの帳簿を紛失した際に、ウルグベクは保管係を
読んで口述筆記をさせ、後に見つかった帳簿と比較したところ、数箇所しか間違いが
なかったとか。

後は説明を聞いたのですが、忘れてしまいました…
写真を撮ってきたのでアップだけしておきます…















































































ウズベキスタン旅行 その32 サマルカンド(11) ウルグベク天文台跡編

2011-10-11 05:45:06 | ウズベキスタン旅行
昼食の後はバスでウルグベク天文台跡に行きました。
バスの車窓から、撮った写真。


途中、後ほど観光するシャーヒズィンダ廟を通り過ぎて、


静かな通りを進み、




ウルグベク天文台跡へ。


ちなみに偶然映っていた標識。ユニバーサルサインは分かりやすいです。


ウルグベク天文台は歴史上、その存在は知られていましたが、場所が特定されていませんでした。
1908年にロシアのアマチュア考古学者ヴィタトキンによって発掘されました。


中に入ると当時の天文台の基礎と六分儀の地下部分が残っていて見学が出来ます。




六分儀は地下部分11mと合わせて40mの高さがあり、弧長は63mだったそうです。
現在の天文台と変わらないような大掛かりな建物が当時造られていました。
凄いです!


尚、天文台跡の隣には博物館があり、天文台の下にはちょっとした広場になっていて、
ウルグベク像が建っています。


ウルグベク像。


ウズベキスタンではティムールだけでなく、ウルグベクも尊敬されていて、
人気が高いです。ここでも、ウルグベク像の前で結婚式が行われていました。


ちなみに、天文台跡はチュバン・アタという丘の上にあります。
広場から撮った写真。左の建物が博物館、右の建物が天文台跡です。


明日は博物館の紹介です。