MIHOの旅

私は海外旅行先を選ぶ際に他の方の旅行ブログを参考にしています。私のブログもご参考になれば幸甚です。

ウズベキスタン旅行 その31 サマルカンド(10) ランチ編

2011-10-10 05:25:04 | ウズベキスタン旅行
さて、ランチはお肉。
シャシリクいう串焼きを頂きました。ご馳走です。

カリム・ベックというサマルカンドの人気レストラン。お店の看板です。


中に入ると、


伝統工芸で飾られた内装で驚きました。


テーブルも可愛い。


ナンは普通のナンでした。




お昼だけど、現地サマルカンドの生ビールを注文。


前菜。






ウグラと呼ばれる自家製ヌードル入りの鳥肉スープ。


さてメインのシシカバブ。こちらは羊肉。ピタも付いてきました。


美味しかったです。4つも食べました!


昼食後はバスに乗って観光です。
バスを待つ間に撮ったレストラン前のサマルカンドの街並み。
落ち着いた街並みです。

ウズベキスタン旅行 その30 サマルカンド(9) グリ・アミール廟編

2011-10-09 05:20:54 | ウズベキスタン旅行
レギスタン広場からバスで5分ほどのところにあるグリ・アミール廟に行きました。
表記ではアミール・ティムール廟です。


グリ・アミールはタジク語で「支配者の墓」と言う意味。
ソ連時代に修復が始まり、1996年に修復が終了していて、とても綺麗でした。


中庭には石の台と、直径1.5m位の石でできた樽があります。
この石台の上でお料理を出したとか。


この樽のようなものはワイン桶。
戦の際に兵士の数を調べるため、桶から一人一杯分のワインを配り、残ったワインの量で
数を把握したそうです。
戦が終わるとまた出征の際に配った量のワインを桶に入れ、凱旋した兵士に一杯のワインを
飲ませ、何人の兵士が戻ってきたかを調べたとのこと。


廟の入口には説明が展示されていて、ティムールの時代がいかに凄かったかのガイドの
説明を聞きます。


そして廟の中の見学をします。


入口は落ち着いた雰囲気なのですが、廟内は豪華絢爛。


ここでも修復時に3kgの金が使われたそうです。


天井もとても綺麗です。




なんて書いてあるのか忘れました…


素晴らしいイスラム文様です。


ティムールの墓石は中央にある黒緑色のもの。
ティムールは自分の為にシャフリサーブスに廟を造っていましたが、遺言は実行されず
サマルカンドに埋葬されました。


ティムールの墓の右側がムハンマド・スルタンの墓、上にあるのがティムールの教師である
ミルサイード・ベリケ、手前にあるのが孫のウルグベク、左に息子のシャールフ、
孫、息子のミランシャーの墓。


実際の遺体は地下3mのところに安置されています。
残念ながら入れませんでした…。


1941年にソ連の学者達によって、ティムールの墓が開けられて、逸話通り
ティムールは足が不自由だったこと、ウルグベクは斬首され殺された事が証明されました。

尚、ティムールの棺の蓋の裏には「私がこの墓から出た時、最も大きな災いが起こる」という言葉が
刻まれており、学者が墓を開いた3日後に、ドイツ軍によるソ連の奇襲があり、第二次世界大戦に
ソ連も突入しました。
その後畏怖を抱いたソ連は蓋を鉛で溶接し、その後二度と開けていません。

廟の裏側。






中庭は面白い造り。


尚、中の見学はしませんでしたが、グリ・アミール廟の隣にあるルハバッド廟。
14世紀の建物。ルハバッドとは麗の住みかという意味だそうです。
ムハンマドの髪の毛が納められていることから有名になりました。

ウズベキスタン旅行 その29 サマルカンド(8) シェルドル・メドレセ編

2011-10-08 05:47:41 | ウズベキスタン旅行

写真はウルグベク・メドレセのミナレットの上から撮ったシェルドル・メドレセです。


シェルドル・メドレセはシャイバニ朝時代にティラカリ・メドレセとともに
1636年に17年かけて完成した神学校です。

ウルグベク・メドレセを模倣しているそうです。
建物全体はそう言われればそういう感じです。


シェルドルとは「ライオン」という意味で、入口のアーチに描かれた小鹿を追うライオンを
表わしています。ライオンと共に人面の入った日輪も描かれていて、偶像崇拝を禁止する
イスラム教では当然ありえないデザインです。
建築家は責任を感じたのか、自殺したとの逸話もあります。


さて、中庭はというとこんな感じ。まだまだ修復中でした。


完全に修復されてからまた来たいなと思います。


尚、ウズベク人だと思われるツアーの方に、
「ジャパニーズ??一緒に写真を撮りましょう!」と言われ一緒に写真を撮りました。

女性ばかりの旅??年取ってから旅行するって楽しそう!
それにしてもウズベク人の衣装はご年配の方でも本当に派手で綺麗です。
日本人はもっと派手にしてもいいのかも…

ウズベキスタン旅行 その28 サマルカンド(7) ウルグベク・メドレセ編

2011-10-07 05:07:03 | ウズベキスタン旅行
ウルグベク・メドレセはその名の通り、ティムールの息子であるウルグベクによって1420年に
建てられた神学校です。
ウルグベクはティムール朝の文化発展に貢献した人で、教育熱心。
天文学者でもあったことからこの学校でも教えていたそうです。
天文学者ウルグベクが建てただけあって、青い星が門のモチーフになっています。


中庭も、フジュラ(学生宿舎)も格式高いデザインです。


中庭にあった排水溝?


フジュラは今はほとんどはお土産屋になっていますが、一部展示室にもなっていました。
ウルグベクの絵は分かりますが、文字が読めない…


中庭にはウルグベクの像もありました。


尚、ミナレットには別料金で登ることが出来ます。
重いサマルカンド・ナンをガイドさんに預けて登ることにしました。
ガイドさんから、足元が悪いので気をつけて!狭いし、高いよと言われていたのですが…

最初はこんな感じで、


どってことない!と思っていたのですが、




全然修復されていない箇所を見学します。


これを修復するって、大変だろうなと思いました。


一応、トタン屋根を張って風化を防いでいます。


さて、ミナレットの階段ですが、やっぱり狭くてぐるぐる螺旋を回りながら登ります。


途中、穴があるとほっとします。


頂上になるにつれ、階段の幅が広がり、よじ登る状態。
そして頂上ではただ顔を出せる穴が開いているだけでした。
身体は外に出せません。


顔を出して眺めた景色。




屋根に落書きが…。世界遺産なのに…。


修復はされていても、建物はまだまだ傷んでいるなと思います。


ティラカリ・メドレセ。


レギスタン広場。修復時には土が2mも堆積していたそうです。


ウルグベク・メドレセの中庭。


シェルドル・メドレセ。


ミナレットの出口は資料室になっていました。
青い展示室でした。

ウズベキスタン旅行 その27 サマルカンド(6) レギスタン広場編

2011-10-06 05:05:51 | ウズベキスタン旅行
さて、今回の旅の目的とも言えるサマルカンドのレギスタン広場の観光です。
レギスタンとは砂地という意味でシルクロードの主要都市の一つであるサマルカンドの
商業の中心地でした。
入場料は3000シム。150円程度です。


レギスタン広場は3つの大きなメドレセ(神学校)から成り立っています。
向かって左がウルグベク・メドレセ、中央がティラカリ・メドレセ、
右がシェルドル・メドレセです。


まず、中央のティラカリ・メドレセから見学しました。
1660年のシャイバニ朝時代にヤラングトシュ・バハドールによって建てられました。


イスラム文様がとても綺麗な建物です。


さて、門をくぐるとそこはお土産物屋になっていました。


絵なんですが、面白い額というか、絵の張り方そのものが面白いです。


中庭の様子はこんな感じです。


綺麗なお庭だと思いませんか?


中庭に入って左側に青のドームの建物があります。


建物の中は礼拝所になっています。
ティラカリとは「金箔の」と言う意味。ティラカリ・メドレセとは訳すと「金箔の神学校」。


天井。ソ連時代に修復が行われたのですが、3kgの金が使われたそうです。
確かにキンピカでした!


建物の右側にはスザニが展示されていましたが、入れませんでした。


建物の北側はソ連時代の修復の様子が展示されていました。




写真があり、修復の模様がよく分かります。


多分、ビビハニム・モスク。こんなに壊れていたんだ…


シェルドル・メドレセ。タイル装飾は後から出来たものだと知り、ちょっとがっかり。


ミナレット、傾いていますけど…


こんな感じで、見ていると結構一大修復工事だったことが分かります。


タイルの文様はもとのデザインのようです。ちょっと安心。


ティラカリ・メドレセはもともとキンピカだったようです。