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ウチナー(沖縄)の世界遺産・首里城その1

2005年11月13日 22時04分48秒 | 日記・エッセイ・コラム
今回から首里城がスタートします。

首里城は1429年から1879年の、450年に渡って琉球王国の国王の居城でした。

これらの建築物は14世紀末までには築かれたとのことです。
自然の地形を巧みに活かして内郭と外郭に分けられております。
城壁は琉球石灰岩の切石で築かれており、約1,080mに及ぶ総延長となっております。

城壁の高さは6~15mで、厚さは3mにもなります。

城壁は台風による風圧の影響を軽減するために曲線状となっておりこれは中国にある万里の長城の造りに共通しているとのことです。

先人の知恵には今更ながら感服させられますね~。。。

さて、左側は龍たん池から望んだ首里城遠景で、右側はそのアップです。
夜景はライトアップされ幻想的な眺めとなります。
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龍たん池はいわゆる本土のお城に見られるお堀とは違い、中国からの冊封使(さっぷうし:中国皇帝の使節団)などの来客に対する接待の場として使われました。
ここに舟を浮かべて接待したとのことです。

本土のお城と首里城の決定的な違いは本土のお城が戦国時代の攻撃に備える造りに対して首里城は平和の時代に対応した造りになっているという点なんですね~。。

ですから、本土のお城のようにお城の周りに敵の侵入を防ぐお堀がないワケです。

この龍たん池はお城の周りではなくてお城から離れたところにあたかも独立した形でレイアウトされているのです。
つまり庭園といったイメージですね。

現在では人々の憩いの場となっています。
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さて、いよいよ首里城の入り口です。    右側がかの有名な守礼門です。
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守礼門とは、つまり琉球は礼節を重んずる邦という意味でこの守礼門を首里城の入り口に配置したワケですね~
守礼之邦の額は主に中国からの冊封使向けに掲げた額らしくて当初は冊封使が滞在中だけに掲げたものが尚質王の代(1648~1668年)から常時掲げるようになったと伝えられているんですね。

この守礼門は実際には首里城第二の門であり、第一の門は現在は存在しない、かつての中山門であったとのことです。

ところでこの守礼門は釘を一切使わないで建てられたのですよ~
これはまさしく中国の流れを汲むものであり中国牌楼の装飾建築といわれております。

ウチナー(沖縄)の文化には常に中国文化が息付いているのですね~。

ところでこれも守礼門には違いないのですがちょっと変ですよね~
どなたか気付きましたか?
そうです、 守礼之邦の額の部分が裏返っていますよね。

実はこれは守礼門を裏から撮った裏バージョンでした・・・・・・・。。

おそらく本邦初公開???
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さて、そろそろ紙面も尽きてきました。
この続きは次回にということで・・・・・・・・・・・。。。


アンシェーヤ! (それでは!)