『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

安見直政(やすみなほまさ)

2019-11-03 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
安見直政(やすみなほまさ)

<現代仮名遣い>やすみなおまさ

※下線部は信長公記以外の記事によります。


右近。安見氏は河内国交野に拠った豪族で畠山氏

の重臣。

1542年木沢長政の没後、飯盛山城を領有。のち主

君畠山高政を紀伊国に追放。

1559年三好長慶の攻撃を受け、大和国に逃れる。

その後高政と手を組み、長慶と戦い破れ堺に逃走。

1569年遊佐信教と共謀し、畠山高政を高屋城から

追い出し、弟の昭高を城主とする。直政は交野城

に戻る。のち信長方につく。


1570年8~9月の野田・福島の戦いで信長が退却し

    た後、信長方として交野城を守備。

1571年死去。


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