『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

日野長光(ひのちゃうくゎう)

2019-01-15 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
日野長光(ひのちゃうくゎう)

〔現代仮名遣い〕ほのちょうこう


相撲取り。

1570年2月常楽寺の相撲に出場。

1578年2月安土信長の御前での相撲で、優れた相撲

    を取った23人のうちの一人。他は普通の扇

    を下されたが、日野は平骨に濃を施した扇を

    下された。

1578年8月信長主催の安土の大相撲で、三番勝ち。

1580年5月安土の相撲で面白い相撲を取り、銀子五枚

    を下される。


 ※源平盛衰記の記事によりますと、平安時代の

  相撲は現代のプロレスに近かったらしく、そ

  れを地面の上でやるものだから、死者が出る

  ことがあったようです。大相撲を殺人技から

  エンターテインメントに変えたのは、信長公

  の隠れた功績かもしれません。


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