以前信長が桶狭間の軍のとき、今川義元の陣に「攻め
下る」ように思われていたのは、源平盛衰記で義経が
鵯越を落す場面からの類推と思われます。すなわち、
江戸時代の読者も信長公記と源平盛衰記を読み比べて
いた証拠といえます。
大久保彦左衛門尉忠教(ただたか)著の三河物語には、
桶狭間の今川陣が崩れるきっかけがきちんと書いて
あります。それによると、今川勢が進軍中三河勢を
馬鹿にして軍議に入れなかったところ、桶狭間山から
信長の軍を見た三河武士の石河六佐衛門尉が「上から
見れば兵数は少なく見えるもの。またどこの城を
攻めるかどこに移動するかの評定で時間を無駄にして
いては、いいことはおきない。はやく帰陣すべし!」
と叱責します。「すでに登り始めた信長勢を見た駿河
勢が慌てふためき、散り散りに逃げ始め負け戦になった」
とはっきり書いてあります。
源平盛衰記巻三十六に「一陣破れて残党全からず」
(主力が破れると残りの者は逃げ散ってしまう)とあり
ます。敵将今川義元を討ち取ったとはいえ、駿河の太守
の軍が破れる様子を目の当たりにした信長の心境は
いかばかりだったでしょうか?
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下る」ように思われていたのは、源平盛衰記で義経が
鵯越を落す場面からの類推と思われます。すなわち、
江戸時代の読者も信長公記と源平盛衰記を読み比べて
いた証拠といえます。
大久保彦左衛門尉忠教(ただたか)著の三河物語には、
桶狭間の今川陣が崩れるきっかけがきちんと書いて
あります。それによると、今川勢が進軍中三河勢を
馬鹿にして軍議に入れなかったところ、桶狭間山から
信長の軍を見た三河武士の石河六佐衛門尉が「上から
見れば兵数は少なく見えるもの。またどこの城を
攻めるかどこに移動するかの評定で時間を無駄にして
いては、いいことはおきない。はやく帰陣すべし!」
と叱責します。「すでに登り始めた信長勢を見た駿河
勢が慌てふためき、散り散りに逃げ始め負け戦になった」
とはっきり書いてあります。
源平盛衰記巻三十六に「一陣破れて残党全からず」
(主力が破れると残りの者は逃げ散ってしまう)とあり
ます。敵将今川義元を討ち取ったとはいえ、駿河の太守
の軍が破れる様子を目の当たりにした信長の心境は
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