信長公記首巻第二十「おどり御張行の事」で、
信長は天人の衣装をつけ小鼓を打ち女おどりを
舞います。のち信長が足利義昭をかついで上洛
したとき、慰労のための観世能を催す場面が
ありますが、このとき義昭が信長の鼓を所望
します。おそらく信長の小鼓・女舞い・小歌・
幸若舞・御鷹野などの趣味にまつわる話が事前
に京の都に伝わっています。
『天人』という語句については、源平盛衰記
巻四十四では「これやこの楽しみ尽きて悲しみ
来るなる天人五衰なるらん」とあり、『天人』
は「いずれ衰えていくもの」として描かれて
います。その出典は
「生ある者は必ず滅す、釈尊未だ栴檀之烟を免れず、
楽しみ尽きて哀しみ来る。天人猶五衰の日に逢へり」
(大江朝綱「和漢朗詠集」無常)
となっています。実は太田牛一が、首巻の段階で
『天人』という言葉を配置して、後の信長の運命
を実は暗示していた・・、と考えたりすると面白い
気がします。
【追記】上記の「おどり御張行の事」の段で、日付
が「七月十八日」となっています。ただ織田太郎左衛門
(信張)の衆が『地蔵』を演じていることから「地蔵の
縁日」と思われ、それならば「24日」が正しい。逆に
信長の演じた『天人』が実は観音様であったなら「観音
の縁日」は「18日」なので原文のままで間違いない、
ということになりますが、どちらなのでしょう?
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信長は天人の衣装をつけ小鼓を打ち女おどりを
舞います。のち信長が足利義昭をかついで上洛
したとき、慰労のための観世能を催す場面が
ありますが、このとき義昭が信長の鼓を所望
します。おそらく信長の小鼓・女舞い・小歌・
幸若舞・御鷹野などの趣味にまつわる話が事前
に京の都に伝わっています。
『天人』という語句については、源平盛衰記
巻四十四では「これやこの楽しみ尽きて悲しみ
来るなる天人五衰なるらん」とあり、『天人』
は「いずれ衰えていくもの」として描かれて
います。その出典は
「生ある者は必ず滅す、釈尊未だ栴檀之烟を免れず、
楽しみ尽きて哀しみ来る。天人猶五衰の日に逢へり」
(大江朝綱「和漢朗詠集」無常)
となっています。実は太田牛一が、首巻の段階で
『天人』という言葉を配置して、後の信長の運命
を実は暗示していた・・、と考えたりすると面白い
気がします。
【追記】上記の「おどり御張行の事」の段で、日付
が「七月十八日」となっています。ただ織田太郎左衛門
(信張)の衆が『地蔵』を演じていることから「地蔵の
縁日」と思われ、それならば「24日」が正しい。逆に
信長の演じた『天人』が実は観音様であったなら「観音
の縁日」は「18日」なので原文のままで間違いない、
ということになりますが、どちらなのでしょう?
