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『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

因縁と先例18【信長は天女か?天人の五衰】

2014-01-13 23:12:47 | 因縁と先例
信長公記首巻第二十「おどり御張行の事」で、

信長は天人の衣装をつけ小鼓を打ち女おどりを

舞います。のち信長が足利義昭をかついで上洛

したとき、慰労のための観世能を催す場面が

ありますが、このとき義昭が信長の鼓を所望

します。おそらく信長の小鼓・女舞い・小歌・

幸若舞・御鷹野などの趣味にまつわる話が事前

に京の都に伝わっています。


『天人』という語句については、源平盛衰記

巻四十四では「これやこの楽しみ尽きて悲しみ

来るなる天人五衰なるらん」とあり、『天人』

は「いずれ衰えていくもの」として描かれて

います。その出典は

「生ある者は必ず滅す、釈尊未だ栴檀之烟を免れず、

楽しみ尽きて哀しみ来る。天人猶五衰の日に逢へり」

(大江朝綱「和漢朗詠集」無常)


となっています。実は太田牛一が、首巻の段階で

『天人』という言葉を配置して、後の信長の運命

を実は暗示していた・・、と考えたりすると面白い

気がします。


【追記】上記の「おどり御張行の事」の段で、日付

が「七月十八日」となっています。ただ織田太郎左衛門

(信張)の衆が『地蔵』を演じていることから「地蔵の

縁日」と思われ、それならば「24日」が正しい。逆に

信長の演じた『天人』が実は観音様であったなら「観音

の縁日」は「18日」なので原文のままで間違いない、

ということになりますが、どちらなのでしょう?

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