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『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

武藤義興(むとうよしおき)

2019-09-16 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
武藤義興(むとうよしおき)

<現代仮名遣い>むとうよしおき

※下線部は信長公記以外の記事によります。


出羽大宝寺。鶴岡市の大宝寺城主。

1579年7月信長に、駿馬五匹・鷹十一足(うち一

    足白鷹)を進上する。

1581年7月信長に、鷹と馬を進上する。翌日使い

    のものに小袖と巻物が送り遣わされる。

1587年上杉景勝の重臣本荘繁男の二男を養子とし

て上杉氏との連合を強化しようとするが、同年10

月庄内に侵入した最上義光に攻められ自刃。



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