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『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

巻二の十三 信長・元康、同盟を結ぶこと

2025-06-01 00:00:00 | 連続読物『いいかよく聞け、五郎左よ!』
<初出:2007年の再掲です>

巻二の十三 信長・元康、同盟を結ぶこと

 信長の恫喝により、松平次郎三郎元康は(表向き)

洗いざらいしゃべり始める。以下は元康の談である。


*一度年少のころ(天文十七年(一五四七))、父広

 忠の舅戸田康光の裏切りにより熱田神宮預かりの

 身となったが、そのときのことは恨むどころか、

 織田信秀殿、三郎信長殿、加藤大宮司殿によくし

 てもらった覚えしかなく、大変感謝している・・・

 らしい

*すでに知っての通り(と本人が言う)自分は「気

 のはやる」性格なので、桶狭間のときは多少の粗

 相があったかもしれない。申し訳ないとは思うが、

 起こしてしまったことは後に戻せないので、これ

 からの付き合いで埋め合わせをしたい・・・らし

 い

*桶狭間戦後、父広忠が岡崎城に蓄えて置いた財貨

 に手をつけないで駿府勢が撤退したため、細々と

 三河衆の食い扶持をつないできたが、正直吉良殿

 追い落としの時の調略費用でそれを相当食いつぶ

 して今は苦しい・・・らしい

*『きわた(木綿)』の商いは昔から駿河と独立し

 て三河で行なわれてきており、信長が指摘したよ

 うな駿河からの税逃れという状況ではない・・・

 らしい

*信濃武田家は、信玄の父信虎が駿府に放逐された

 時から好ましい相手ではないと思っている・・・

 らしい


 信長は相変わらず、『皆紅に月出だしたる扇(地

が真紅で銀の月が書いてある扇)』で紅潮した胸元

をあおぎ、かたや元康も相変わらず『皆白に日出だ

したる扇(地が真っ白で金の日が書いてある扇)』

を正座した膝の上で開いたり閉じたりしている。

 まあ信長も、途中からあくび(当然扇で隠しては

いるが)をし始め、正直な丹羽長秀は扇も使わずあ

くびをする。これは遠まわしに「話を早く終われ!

尾張の得になる話をすれば許す」というなぞかけで

あったが、この年数えで二十一歳の元康には伝わら

ない。変わらず熱弁をふるおうとするので信長が手

を挙げて制する。

「あいやわかった!それまで!しかして本日その埋

め合せはどうするつもりで来城したか、二郎三郎殿」

「はい。やはりこれからも戦乱が続くことを考える

と、鎧の札(さね)を綴るのも皮や絹ではなくて

『きわた』のほうが安上がりで比較的頑丈でござい

ます。それゆえ『きわた』の需要はいやましに増え

てまいりましょう。できれば当家では関東向けの商

いに専念し京周辺への商いは織田家におまかせしと

う存じ上げます」

「具体的には?どうする?」

「現在木曽川経由で美濃・近江・畿内に送っていた

ものを海路に振り替え、水野殿経由にて桑名港水揚

げでいかがかと・・・」

信長が末座に座っている松井友閑・木下藤吉郎のほ

うをチラッと見ると、藤吉郎が手のひらを指ではじ

いて試算し、有閑とともに軽くこくっとうなづいた

後、二人で信長に頭を下げ、

「よろしいかと・・」

と申上する。


「木曽川から『きわた』の権利を奪うと信濃守が怒

らぬか?」

と丹羽長秀が問いかけると、

「ご心配なく。その分三河名産『茜の染料』を安く

供給して穴埋め致します!」

と答える。長秀は今度信長と目を合わせ、信長は末

座の皆と軽く目を合わせ、

「二郎三郎殿大儀であった。苦しゅうない、話はお

わりじゃ!」

と宣言して今回の会議を終える。なお、唐納豆(麹

菌を使った粘らない納豆)・志都呂焼き・甲斐の紙・

伊豆江川の酒などの利権に元康が介入し始めていた

ことは、信長・長秀・勝家の三人はつかんでいたが、

もうこの場では追求しない雰囲気である。世にいう

『尾三同盟』の締結であった。


「ありがたき幸せ!ところで兄者、拙も兄者と同じ

ように三人組を作っておりましてな。拙と酒井忠次

と石川数正の『三人が三河を経営する』という、し

ゃれておりますでしょう!あっはっはっ!はやく、

三郎兄者・五郎左衛門長秀殿・権六勝家殿の御三方

のように強くなりたい、追いつきたい!あっはっは

っはっはっ!」

舌口なめらかになった元康は、いつまでたっても話

が終わらない。柴田勝家が強引に鳴海熊野社から手

に入れた牛王護符に火をつけて水杯のうえで燃やす。

しゃべりに夢中の元康は勝家から勧められるまま杯

をほすが、その間もずっとしゃべりっぱなしであっ

た。

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