木曾義昌(きそよしまさ)[1/3]
〔現代かなづかい〕きそよしまさ
※記事量が多いので3回に分けての投稿です。
※下線部は信長公記以外の記事によります。
信濃木曾の領主。1555年武田信玄に下り、
武田信玄の女を妻とする。武田勝頼の代
となり織田信長に通ずる。
1582年2月「木曾義昌が信長方の味方となる
意思を表明した。軍勢を出されるように」
と遠山久兵衛から織田信忠に連絡。
信忠はすぐに信長に連絡。「境界の軍勢
を出し、木曾から人質をとり、それから
出馬」と決める。木曾と遠山は一手になり、
木曾の弟木曾義豊を人質に送る。義豊は
菅屋長頼のもとへ預けられる。
1582年2月今福昌和が藪原から鳥居峠へ足軽を
出すと、木曾義昌と遠山久兵衛父子が
合流し、奈良井坂から鳥居峠へ進軍し、
一戦に及ぶ。このとき敵は跡部治部丞・
有賀備後守・笠井・笠原らが討ち取られる。
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信濃木曾の領主。1555年武田信玄に下り、
武田信玄の女を妻とする。武田勝頼の代
となり織田信長に通ずる。
1582年2月「木曾義昌が信長方の味方となる
意思を表明した。軍勢を出されるように」
と遠山久兵衛から織田信忠に連絡。
信忠はすぐに信長に連絡。「境界の軍勢
を出し、木曾から人質をとり、それから
出馬」と決める。木曾と遠山は一手になり、
木曾の弟木曾義豊を人質に送る。義豊は
菅屋長頼のもとへ預けられる。
1582年2月今福昌和が藪原から鳥居峠へ足軽を
出すと、木曾義昌と遠山久兵衛父子が
合流し、奈良井坂から鳥居峠へ進軍し、
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