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『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

木曾義昌(きそよしまさ)[1/3]

2016-11-02 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
木曾義昌(きそよしまさ)[1/3]

〔現代かなづかい〕きそよしまさ

 ※記事量が多いので3回に分けての投稿です。

 ※下線部は信長公記以外の記事によります。


信濃木曾の領主。1555年武田信玄に下り、

武田信玄の女を妻とする。武田勝頼の代

となり織田信長に通ずる。


1582年2月「木曾義昌が信長方の味方となる

    意思を表明した。軍勢を出されるように」

    と遠山久兵衛から織田信忠に連絡。

    信忠はすぐに信長に連絡。「境界の軍勢

    を出し、木曾から人質をとり、それから

    出馬」と決める。木曾と遠山は一手になり、

    木曾の弟木曾義豊を人質に送る。義豊は

    菅屋長頼のもとへ預けられる。

1582年2月今福昌和が藪原から鳥居峠へ足軽を

    出すと、木曾義昌と遠山久兵衛父子が

    合流し、奈良井坂から鳥居峠へ進軍し、

    一戦に及ぶ。このとき敵は跡部治部丞・

    有賀備後守・笠井・笠原らが討ち取られる。


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