『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

木曾義豊(きそよしとよ)

2016-11-01 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
木曾義豊(きそよしとよ)

〔現代かなづかい〕きそよしとよ


上松蔵人。木曾義昌の舎弟。

1582年2月「木曾義昌が信長方の味方となる

    意思を表明した。軍勢を出されるように」

    と遠山久兵衛から織田信忠に連絡。信忠

    はすぐに信長に連絡。「境界の軍政を出し、

    木曾から人質をとり、それから出馬」と

    決める。木曾と遠山は一手になり、木曾の

    弟木曾義豊を人質に送る。義豊は菅屋長頼

    のもとへ預けられる。


↓ランキングに参加中。クリック応援よろしくお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 戦国名家の系譜:畠山氏 | トップ | 木曾義昌(きそよしまさ)[1/3] »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

信長公記の蔵:人物篇」カテゴリの最新記事