本日は益古時計と関係のない話を・・・。
昨日、中田英寿が引退を表明したとのこと。もちろん益古時計とはなんの関係もないことなので「ふ~ん、そうか」くらいにしか思わないのですが、世の中は激震!?のようで・・・。というわけで本日は中田英寿についての想い出?小ネタをひとつ。
何回か書きましたが、小生は小学生からずっとサッカーをしていました。いまの日本代表にもいっしょに練習、もしくは試合をしたことのあるやつもいます。中田英寿に関しては別に練習も試合もしていないのですが、高校のとき、彼の試合の球拾いをしたことがありました。どういうことかといいますと、中田とは同じ歳で(ついでに誕生月まで同じです)ようは同学年です。僕が高校3年生のとき、たまたまですが、インターハイが小生の地元で開催されました。僕の高校はあっけなく県大会で負けたので、いわゆる地元高校生として球拾い等の補助役員なるものを大会期間中させられたのです。その時、楢崎や柳沢のいた高校の球拾いもしたのですが、中田英寿がいた韮崎の試合の球拾いもしたのです。当時の中田はユース代表にも選ばれていたので、サッカー関係者の間では知れ渡っていましたが、帝京や国見などの強豪校でもないし、一般的には知らない人がほとんどだったと思います。僕も「こいつが中田か」くらいにしか思いませんでしたが、試合をみて衝撃でした、プレーではなく行動が・・・。もちろんプレーもうまかったのですが、それ以上に行動といいますか、雰囲気といいますか・・・。いまとなっては凡人のひがみだったんだと思いますが、当時はまさかこんなスターになるとは思ってないし、その時の印象ははっきりいってやな奴・・・なんなんだその態度・・・といった感じ。ぜったい友達にはなりたくないタイプだな・・・なんて思いました。他のチームメイトはこいつとサッカーしてて楽しいのかな?とか(それはいまの日本代表にも通じるかも)。そんなわけで球拾いしながらこいつには負けたくねーと意味もなくイライラしていました(別に試合相手でもないのに)。僕も小・中学校はそれなりに強豪と呼ばれる学校にいたので球拾いしながらも、試合にでればそれなりにやれるという自信もあったので、なんで俺は球拾いなんかしてるんだ、中田と試合させろ・・・と思いながらも真面目に球拾いしてました・・・。
そんなこんなでその試合は結局、中田がハットトリックまでしてまさにワンマンショー的な試合になりました。というわけで試合が終わり、僕の中では勝手に中田に対して対抗意識が芽生えていました。そして試合が終わった直後トイレに行ったのです。そうしたらトイレの入り口のドアを開けた瞬間、ちょうど中田がトイレからでてきたのです。そこで中田だとわかった瞬間、向こうは選手、僕はただの球拾いの係員なので、本来ならば選手に道を譲りただの係員である僕がドアをもってどうぞどうぞくらいな感じでよけなければならないのですが、そこで負けらんねーと思い、中田にトイレのドアを抑えさせ「オッ、わりーな」くらいな態度でトイレにはいっていきました(あくまで向こうは選手、僕は係員なのに・・・)心の中では「勝った」と叫んでいました。 そうなんです、僕は世界の中田にトイレのドアを抑えさせたことのあるこの世で数少ない人間なのです・・・(自分で書いてて虚しくなってきた・・・)。
こんなこと笑い話としていままでなんかのきっかけで話したこともありますが、これは自慢にならない自慢話なのであんまり喋ったことはありませんのであしからず・・・。というわけで僕の中では中田の想い出はトイレのドアなのです。
そんなわけで正直、僕は中田がずっと嫌いでした。といっても日本代表に選ばれ、イタリアでも活躍し、結局のところ凡人のひがみだったんだとわかったときからは、同世代の人間として応援するようになりました。W杯でも日本の中で一番よかったのは中田だと思います。引退と聞いた今、本当にお疲れ様とありがとうをいいたいと思います。
どんな有名人だろうが、同じ歳、もしくは年下のやつには負けたくないという気持ちが少なからずあります。実際中田もその辺の高校生として目の前にいたのに・・・。でもいまとなってはあちらは億の金を動かす世界的な人間に、こちらは奥様の顔色を伺いながら1500円のCDを奮発して買っている人間に。なんなんだこの差は!!と思いながらも結局は地道に生きることしか僕には選択肢がないのでした。
なんて今日は全然益古時計とは話がそれましたが、こんな小ネタは実はまだまだあるのですが、また機会があればいつか書きたいと思います。
写真はまったく関係ないのですが、その昔韓国ユース代表だったやつとユニフォーム交換したものです。懐かしくなり久々にだしてみました。
昨日、中田英寿が引退を表明したとのこと。もちろん益古時計とはなんの関係もないことなので「ふ~ん、そうか」くらいにしか思わないのですが、世の中は激震!?のようで・・・。というわけで本日は中田英寿についての想い出?小ネタをひとつ。
何回か書きましたが、小生は小学生からずっとサッカーをしていました。いまの日本代表にもいっしょに練習、もしくは試合をしたことのあるやつもいます。中田英寿に関しては別に練習も試合もしていないのですが、高校のとき、彼の試合の球拾いをしたことがありました。どういうことかといいますと、中田とは同じ歳で(ついでに誕生月まで同じです)ようは同学年です。僕が高校3年生のとき、たまたまですが、インターハイが小生の地元で開催されました。僕の高校はあっけなく県大会で負けたので、いわゆる地元高校生として球拾い等の補助役員なるものを大会期間中させられたのです。その時、楢崎や柳沢のいた高校の球拾いもしたのですが、中田英寿がいた韮崎の試合の球拾いもしたのです。当時の中田はユース代表にも選ばれていたので、サッカー関係者の間では知れ渡っていましたが、帝京や国見などの強豪校でもないし、一般的には知らない人がほとんどだったと思います。僕も「こいつが中田か」くらいにしか思いませんでしたが、試合をみて衝撃でした、プレーではなく行動が・・・。もちろんプレーもうまかったのですが、それ以上に行動といいますか、雰囲気といいますか・・・。いまとなっては凡人のひがみだったんだと思いますが、当時はまさかこんなスターになるとは思ってないし、その時の印象ははっきりいってやな奴・・・なんなんだその態度・・・といった感じ。ぜったい友達にはなりたくないタイプだな・・・なんて思いました。他のチームメイトはこいつとサッカーしてて楽しいのかな?とか(それはいまの日本代表にも通じるかも)。そんなわけで球拾いしながらこいつには負けたくねーと意味もなくイライラしていました(別に試合相手でもないのに)。僕も小・中学校はそれなりに強豪と呼ばれる学校にいたので球拾いしながらも、試合にでればそれなりにやれるという自信もあったので、なんで俺は球拾いなんかしてるんだ、中田と試合させろ・・・と思いながらも真面目に球拾いしてました・・・。
そんなこんなでその試合は結局、中田がハットトリックまでしてまさにワンマンショー的な試合になりました。というわけで試合が終わり、僕の中では勝手に中田に対して対抗意識が芽生えていました。そして試合が終わった直後トイレに行ったのです。そうしたらトイレの入り口のドアを開けた瞬間、ちょうど中田がトイレからでてきたのです。そこで中田だとわかった瞬間、向こうは選手、僕はただの球拾いの係員なので、本来ならば選手に道を譲りただの係員である僕がドアをもってどうぞどうぞくらいな感じでよけなければならないのですが、そこで負けらんねーと思い、中田にトイレのドアを抑えさせ「オッ、わりーな」くらいな態度でトイレにはいっていきました(あくまで向こうは選手、僕は係員なのに・・・)心の中では「勝った」と叫んでいました。 そうなんです、僕は世界の中田にトイレのドアを抑えさせたことのあるこの世で数少ない人間なのです・・・(自分で書いてて虚しくなってきた・・・)。
こんなこと笑い話としていままでなんかのきっかけで話したこともありますが、これは自慢にならない自慢話なのであんまり喋ったことはありませんのであしからず・・・。というわけで僕の中では中田の想い出はトイレのドアなのです。
そんなわけで正直、僕は中田がずっと嫌いでした。といっても日本代表に選ばれ、イタリアでも活躍し、結局のところ凡人のひがみだったんだとわかったときからは、同世代の人間として応援するようになりました。W杯でも日本の中で一番よかったのは中田だと思います。引退と聞いた今、本当にお疲れ様とありがとうをいいたいと思います。
どんな有名人だろうが、同じ歳、もしくは年下のやつには負けたくないという気持ちが少なからずあります。実際中田もその辺の高校生として目の前にいたのに・・・。でもいまとなってはあちらは億の金を動かす世界的な人間に、こちらは奥様の顔色を伺いながら1500円のCDを奮発して買っている人間に。なんなんだこの差は!!と思いながらも結局は地道に生きることしか僕には選択肢がないのでした。
なんて今日は全然益古時計とは話がそれましたが、こんな小ネタは実はまだまだあるのですが、また機会があればいつか書きたいと思います。
写真はまったく関係ないのですが、その昔韓国ユース代表だったやつとユニフォーム交換したものです。懐かしくなり久々にだしてみました。
ユニフォーム紛らわしくてスミマセン。
中田のものならばとっくにお金に・・・そんなことないですが・・・。
また、なにかきっかけがあれば小話?をしたいと思いますので、楽しみにお待ち頂ければと思います。