益古時計の日々

カフェ&ギャラリー&ステイ(宿泊)の益古時計から送る日々の徒然

富山からM田くん

2011-10-14 18:14:56 | Weblog
 ようやく腰も9割方治り(まだ少々痛いですが)、益子市の残務処理もようやく9割方終わりました。てなわけで、今度は益古時計の雑用に追われなければなりません・・・。
 
 まあそこら辺のことはさておき、話は1か月ほど前まで遡るのですが、僕の故郷の富山から同級生のM田君が突然益古時計にやってきました。3連休の忙しいときだったので、まともに話をすることもできなかったのですが、ほぼ10年ぶりの再会でした。
 M田君は富山でテレビ関係の仕事をしており、富山のJリーグ関係の番組などにも携わっているのですが、ちょうどその日Jリーグの試合でカターレ富山と栃木SCが、栃木で試合をするということで、その応援も兼ねて栃木に来てついでに益子まで足を運んでくれたというわけでした。
 そんでもって富山のテレビ関係者の2人といっしょに来てくれたのですが、そのうちの女性の方はとても綺麗な方だったのですが、Jリーグ中継のリポーターなどをされている方だということでした。
 そんでもって話は益子市の方につながっていくのですが、益子市の取材でとちぎテレビの女子アナの「栃木のマンU」こと萬代裕子さんが来てくださって、いろいろお話していると、富山からM田君と来てくれた女性リポーターさんともお友達らしく、「彼女から益古時計に寄ってきたってメールがきましたよ、彼女は美しすぎるリポーターって言われて有名なんですよ」という話を萬代さんから聞きました。そんなわけで僕的にはもうちょっとお近づきになっておけばと後悔したというわけでした。
 ややこしい話でスミマセンが、僕が益子市の実行委員長でとちぎテレビの萬代さんから取材をされ、萬代さんと美しすぎる富山のリポーターさんは友達で、そのリポーターさんを益古時計に連れてきたのが僕の友達で、なんとも無理矢理ですが、これまた不思議と繋がったのでありました。
 M田君とは中・高校とも同じでしたがクラスが一緒になったことはなかったのですが、たまたま進学先が東京の同じ系列の専門学校だったので、高校卒業後上京してからは、よく2人であちこち行っていました。(いまとなっては考えられませんが)2人きりでカラオケBOXに5時間くらいいたなんてこともあったし、フジテレビ祭り(当時まだお台場移転前の河田町でした)に2人で行き、おニャン子クラブ復活なんてのも観ました(オタクでスミマセン・・・)、そんな若かりし頃の思い出です。
 とにもかくにも最近は新しい出会いも数多い反面、旧友との再会もなぜか多く、なんともうれしい限りです。