このアルバムを聞くと「情念」という言葉を思い浮かべます。
サイケデリックロック台頭期、ロンドンのUFOクラブでは、シド・バレット率いるピンク・フロイドや、ソフト・マシーンといったバンドが、サイケデリックなポップ・ロックを演奏していたそうです。ロバート・ワイアットはそのソフト・マシーンのドラマーでした。ピンク・フロイドはギタリストがデイブ・ギルモアに代わり、その後大作主義路線に進み、商業的にも大成功を治めました。一方、ソフト・マシーンは、オリジナルメンバーが次々と脱退して、アルバムを出す事にメンバーチェンジを繰り返すという不安定な活動を行いつつも、サックスのエルトン・ディーンの参加とともにジャズ・ロック・バンドとして歩む事になりました。
もともとフリーフォームなロックを目指していたソフト・マシーンとジャズ・ロックに向かい始めたソフト・マシーン、オリジナルメンバーであるロバート・ワイアットと他のメンバーの距離はどんどん離れていってしまいました。ロバート・ワイアットはなにかのインタビューで「リズムというのは、もっと自由なものだ」というようなことを言っていました。ところが、ジャズ・ロックに向かったソフト・マシーンは、反復するリズムの上にサックスが自由に吹きまくるという形をとるようになっていきました。ソフト・マシーンのアルバム「3」「4」を聞くと、初期のフリーフォームなドラムスタイルで通そうとするワイアットと他のメンバーの距離が感じられます。
やがて、ワイアットはソフト・マシーンを脱退して、ソロアルバム「The End Of An Ear」という渾沌としたアルバムを作成します。その後マッチング・モールというバンドをつくり「Matching Mole/そっくりモグラ」「Matching Mole's Little Red Record/そっくりモグラの毛語録」というアルバムを発表します。マッチング・モールは、ギター、ベース、キーボード、ドラムという普通のロックバンドの形をとりながら、即興的ななジャズロックを演奏するというロバート・ワイアットにとって理想的なソフト・マシーンを実現したバンドだったのかもしれません。
マッチング・モールの活動がうまく進みかけたときに、ロバート・ワイアットは2階から落ちるという事故に遭い、ドラマーとして致命的な脊髄の損傷を追い、車いす生活を余儀されなくなってしまいました。
ふつうならここで、ミュージシャンとしての生活をあきらめてしまうのですが、書きためた曲をもって復活したのがこのアルバム「ロック・ボトム」です。復活した彼の元に、マイク・オールドフィールドやニック・メイスンなど縁のあるミュージシャンが集まってこのアルバムが作成されました。
1曲目の「Sea Song」のゆっくりとしたリズムとキーボードが、深い海の底から復帰したワイアットが新鮮な空気を胸一杯に吸い込んで喜びを噛みしめているように思われます。そして2曲目、3曲目と徐々にテンポをあげてLP時代のA面は終わります。
ソフト・マシーンからマッチング・モールまで、どちらかというと自由奔放という感のあったあのドラムはもう聴く事ができませんが、このアルバムでは喜怒哀楽がうまいこと濾し出されたような深みを味わう事ができます。
Rock Bottom(LPはこのジャケットでした)
Rock Bottom
The End Of An Ear
Matching Mole
Little Red Record