経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

関西近畿復権についての提言

2015-02-10 16:13:29 | Weblog
関西近畿復権についての提言

 関西と言ったがこの言葉は適当ではない。京大阪から見た場合関の東の辺縁な地として東国関東という言葉が用いられた。首都が東京に遷ったので自動的に関西という言葉が発生したらしいが、この言葉を用いることは自らを首都に対する一地方と位置づけるに等しい。むしろ近畿と言う方が妥当か。王城の地、五畿内を意味するが故に。関西か近畿かとう語法の違いはいわゆる関西近畿圏の自己同一性の混乱を物語っている。
単なる混乱ではない。自己主張が強すぎての不統一と混乱なのだ。関西近畿の中心が大阪だといえば京都はむくれるだろう。京都も大阪も決して関西という語の中に自己の表現を埋没させたくはない。横浜が東京の単なる延長上の地域であるのに対して関西近畿の京阪神三都はそれぞれ独自に来歴由来を持っている。のみならず関西近畿には首都体験を持つ府県が多い。奈良京都は言うに及ばず、大阪は難波宮、神戸は福原宮、滋賀県は近江宮を持った過去がある。また三重県には伊勢神宮があり、この地は日本の魂、別の意味での首都だ。関西近畿における政令都市は四つ、その内堺市は東海道山陽というメインロ-ドからはずれている。しかし堺市は政令都市だ。それだけの由来と出自を持つが故に。大阪の母胎であり、京都に対抗しつつ京文化と密な関係をもって中世の堺文化を生んだ堺市はある種の首都体験を持っていると言えよう。首都体験というものがその地域の住民に如何なる意義を持つかは北九州と名古屋を比べてみればよく解る。北九州は大和王権成立以前には先進地域であり、邪馬台国があったかも知れないと北九州の住民は思っている。だから北九州の住民の地域自己主張は非常に強い。それに比し北九州より遥かに大きい経済圏を有する名古屋の自己主張、地域への誇りの微小なこと。首都体験とはそういうものだ。要するに関西近畿に属する府県のほとんどは首都体験を持ち、だから住民は自覚的また潜在的に中央意識を持っている。だから関西近畿圏の府県は自己主張が強くまとまりにくいとは言える。これは関西近畿の弱みでもあり同時に強みでもある。歴史の旧さと豊かさはそのまま文化という財産になる。ここで歴史、観光、医療という関西近畿の強みとされている分野から関西近畿復権の展望を考えてみよう。
 まず歴史という点では奈良県に徹底的にてこ入れすべきだ。奈良県は古代遺跡の宝庫だ。この遺跡を単なる学術の具にのみ留めておくのはもったいない。平城宮遺跡などは遺跡発掘の進展と併行してそれを地上に再現すればいい。ミニ平城京を造るのだ。他の遺跡に関しても同様、巻向古墳などは邪馬台国の女王卑弥呼の宮殿跡とされている。ならそれを復元させて2000年前の時代を再現し演出し表示すればいい。こうすれば奈良県は世界最大最高の歴史文化地域になる。観光客は倍増するだろう。要は遺跡の下に眠る記憶を再現して劇場化し公園化することなのだ。遺跡だけなら訪問する者は単なる遺跡マニアだけに限られる。しかしそれを劇場化すれば訪問する者は指数関数的に増大する。単なる温泉地であった宝塚に劇場ができた。それだけで宝塚は一変した。この智恵を奈良県全域に応用すればいい。同時に平行して奈良県にある神社仏閣の祭礼等も派手に演出する。要するに奈良県を日本の文化の原点として劇場化しつつ世界に向けて発信するのだ。奈良周辺の地域、京都、滋賀、和歌山、大阪、三重県の一部も同様の措置施行の対象になる。一点に観光客が集まれば他の地の観光も繫栄する。重要な事は日本は古来の文化施設を現在でも非常に多く保持していることだ。だから遺跡の復元は同時に現在の風景に結びつく。この事は日本文化の評価に連なる。日本文化は歴史的連続性が強い。この点では世界一だろう。例外ともいえる。遺跡の復元は現代日本の積極的な宣伝にもなる。更に奈良県大和国は周知の事ながら日本の文化と政治の発生成育の地だ。この奈良県の遺跡や施設を劇場化することは、そのまま日本誕生を演出表現提示することだ。我々日本人には国家意識の涵養になり、外国人には日本をより深く広く理解する契機になる。歴史は資本なのだ。この資本を関西近畿は一番大量に保持している。歴史は資本だ。歴史を発掘し理解し再解釈することにより、人心は単なる国粋主義を超えて安定し豊かになり、国民個々人の自己同一性は深まる。換言すれば民度は向上する。この民度が労働生産性と内需の基盤になる。奈良大和を起点として歴史を掘り起こしてゆこう。
 関西近畿の医療技術の水準は高い。多分日本一だろう。関西近畿には旧姓帝大が二つもある。ともにトップレベルの研究をしている。関西近畿を医療の起点にしようとする時、それは一部で言われているような外国の金持ちの診療をして稼ごうなどというみみっちい考えではない。医療行為の物質的基礎は薬剤と医療機器に集約される。これらの物を作る製造業を盛んにしようと言うのだ。薬剤は化学工業に連なり、また薬剤製造はそのまま素材産業になる。医療機器は将来単なる機器ではなくなる。病院はすべてシステム化され病院自体が統一された機器の集合体になる。医療機関の整備とはそれ自身が原発新幹線軍艦製造など他の分野に直結してゆく。医療をそこまで深く遠大な構想でもって誘引する。そういう方向で医療産業を考え企業を誘致する。そして医療はもう一つの分野介護と密接に関連する。
 介護という事項は従来考えられてきた以上の意味を持つ。まず介護は単純に老年者を世話する行為というだけではない。介護自身がサ-ヴィスであり価値を持つが、介護では医療と同様将来どんどん機械化が進むだろう。機械化あるいはシステム化と言ってもいい。介護自身が膨大な需要と生産行為への大きな動因刺激源を持っている。だから介護は将来における有望産業になる。ここで一つ大胆な提案。介護施設を地方つまり田舎過疎地域に移動させ地方を介護の主要センタ-としたらどうであろうか。関西近畿を例に取れば京都府北部、兵庫県北部と西部、奈良県南部、滋賀県北部、三重和歌山両県などの各地に介護施設を移す。重症の寝たきり老人や認知症の人達を過疎地域に移動させそこで集中的に管理し治療する。地方創生において一番重要なことは、企業などの物的施設を誘致することではなく、人間そのものを移動させ定着させることだ。介護される人間は当然幾多の需要を持つ。また介護する側も当然当該地域に移住定住しなければならない。介護には医療が随伴する。仮に一万人の被介護者を移住させれば、一万人の介護医療要員が付随して移住しなければならない。集中的に管理すれば効率は上がる。機械化システム化も容易になる。医療介護を含めて機械化へのインセンチヴが増大する。更に家族との交流のために都市部と過疎部の連絡は増大し交通インフラへの需要も増大する。関西近畿という大きな地域が発展するためには大阪などの都市部に人口を集中させてはダメだ。まず過疎部に人口を集中的に移動させる。人口が増えれば過疎部は繫栄する。この周辺の繫栄はやがて中枢たる都市部にはね返ってくる。介護施設の過疎部への移動は地方創生の大きな動因となる。この施策は日本全体の問題であるがまず関西近畿圏が率先して取り組むべきではあるまいか。そのくらいの大胆な試みをせずして関西近畿の復権はありえない。
 関西近畿の発展のためには交通インフラの整備は重要だ。あくまで関空を中心に考える。関西に空港は三つ要らない。伊丹か神戸の空港のどちらかは廃止する。そして阪急地下鉄南海を乗り換え無しで繋ぐ路線を造る。梅田から関空まで30分で行けるようにする。奈良からも直行で関空に行けるようにすればいい。現在の和歌山線の支線を途中から延ばせば容易に関空に到れる。もう一つ交通インフラで重要な事は北陸新幹線の延伸だ。米原から金沢までの新幹線を作る。もちろんリニヤ-新幹線の大阪への延伸は可及的に早く実現するべく運動する。東京が名古屋と結ばれてもあまり意義はない。名古屋は東京大阪間の単なる通過地点の意義しかない。
 学術機関の集中化は緊要な問題だ。研究は研究集団が集中してこそ成り立つ。情報特に研究情報は人事の密接な交流においてのみ可能になる。大阪難波高島屋の南方に広大な空地があるがそこに学術研究機関を集中させる。まず大阪市大と府大を統合しそれをこの地区に移す。約一万人の学生と同数の職員がいるが、彼らをこの地区に移動させる。もちろん施設も。その為には巨大なビル郡が必要となる。それ以外の大学もこの地域に移動させたり、状況によってはサテライトを造ればいい。関西近畿以外の地域の大学もサテライトを出せばいい。学術研究と並んで重要な事は日本の製造業を支えている中小企業への技術支援をどうするかということである。当該地区に学術機関を集中させたら、この施設の一部を中小企業の技術援助に使用できる。中小企業から学びに来るのが一番にいい。そのためにも学術機関の集中は必要だ。関西近畿の製造業は東大阪を中心とする中小企業群で成り立っている。
 最後に金の問題。関西近畿の復権には国家の政策が必要だ。明治維新時東京へ遷都して関西近畿の資本を大体的につぎ込み東京を造った。この試みは大成功だった。そしてこの試みは明白な国家意志だった。将来日本が繫栄するためには、国家自身が関西近畿をどうするのか明瞭な施策を示さなければならない。同時に関西近畿自身の自助努力も必要だ。私は関西近畿を構成する府県と市町村が金融同盟を結んで共同で債権を発行してもいいのではないのかと思っている。この際債権の保証は国がする。あるいは国家と関西近畿地域が半々で債権を発行してもいい。