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武士道の考察(13) 律令制、土地はすべてお上のもの?

2021-03-23 14:49:18 | Weblog
武士道の考察(13) 律令制、土地はすべてお上のもの?         ・

(律令制)
 武士が職業戦士として歴史に登場するのは、平安時代の前半です。以下の記述を通して、武士が出現する歴史的背景、武士が単なる戦士から中央政界の勢力に成長する過程、そして武士の具体的なあり方、を解説します。
 我が国の政治体制は律令の制定でもって古代中央集権制として一応完成されます。701年大宝律令制定。律は刑法、令は行政法に近いものです。律令の制定により、日本の国は、一応中央の権力である天皇を中心とする一団の為政者により、一元的に統治されることになりました。律令制の根幹は公地公民です。全国の人民と土地は、少なくとも建前は国家のものです。租税はすべて国が徴収し国の裁量で使われます。六年ごとに戸籍が編纂され、土地が調査され、納税者が把握されます。この原則に基づいて生産物は均等に分配されることになります。これが公地公民の原則です。人民の生産物は、人民が自己の労働力を再生産する分を除いて、国が皆取り上げます。政治とは富、すなわち租税とその分配(予算)を握ることです。正一位から大初位までのおおよそ三十の位階が定められ、それに応じて各種の役職に就きます。位階の制定は官吏の登用と統制の手段です。たとえば台閣の首班である左大臣なら従一位、議定官の一つ中納言なら三位、八省の長官である卿なら四位、地方長官(国司)である守なら五位、宮城の警衛に当たる衛門府の三等官である左衛門尉なら六位です。強制力を最終的に保証する軍団の建設も必要です。兵士は地方の農民から徴募されました。税制が定められます。租(田稲)、庸(労役)、調(地方特産物)雑徭(ぞうよう、国司が自分の判断で農民を使用する事)、出挙(すいこ、政府の半強制的な稲の貸し付けに伴う利息収取)があります。もっとも嫌がられたのは雑徭と兵役でした。税の取り立ては地方官の任務です。地方官は上から守介掾目(かみすけじょうさかん)の四段階がありました。法の制定、公地公民、戸籍編纂、官職整備、税制確立、軍団建設、などが律令制の基軸です。
 (注1)洋の東西を問わずどこの社会においても直接労働による賦役は嫌われました。剰余価値まるごと持って行かれるのですから。蓄富、資本蓄積は当初の労働地代から生産物地代に、さらに金銭の納入に進化する事により進みます。
 (注2)面白いお話ですが、この律令制特に公地公民は本家の唐王朝より日本の方でより完璧に遂行されました。

(土地はすべてお上のもの?)
 問題は公地公民です。政府は全国の土地をすべて公有とし、人民の性別年齢に応じて均等に分配し、そこから税を完全に徴収しようとしました。制度が理想的に運営されれば貧富の差はなくなり、富者有力者が国家と人民の間に介在して、余分な利益を取る機会はなくなります。しかし律令制はなにもないところに天から降ってきたものではありません。律令制定以前からの豪族は存在し、彼らは自分の私有地・私有民を持ち、税を徴収していました。大陸の動向は激しくなります。隋や唐という大帝国の出現に抗してゆくため、やむなく豪族が連合して統一国家を作ったのです。彼らは律令制の意義は理解しつつも、自分たちの特権は頑として主張します。彼らには、政界における彼らの官職と位階に応じて、彼らの自由になる(課税されない)土地や人員(給与は国家持ち)が与えられます。自分たちの子孫がより有利な官職を得るために、親の生前の官位に応じて、優位な位階から官僚人生を出発できるように取り計らいます。貴族豪族の特権は再生産されます。貴族間での競争から脱落する事はありえますが、普通の人民から貴族の世界に這い上ることはほぼ不可能です。二つの例外があります。僧侶と武士です。事態はそう単純ではありませんが、短期的視野で見ると僧侶が、長期的には武士がこの位階制度を打ち破ります。
 生産手段をすべて公有にし国家で管理する事は、言うは易く実行は不可能です。失敗の事例は20世紀末の共産主義を見れば解ります。日本古代の律令制も同様、富者や有力者でなくても、自分で稼いだものは自分の子孫に伝えたい。でなければあまり働いても無駄、これは人情です。政府は人民の労働意欲を向上させるために土地の私有を認め、墾田永世私有法を制定します。が、税金はちゃんと取ります。これが問題の焦点です。

「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行

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