経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

武士道の考察(95)

2021-06-21 21:07:31 | Weblog
武士道の考察(95)

(宋学、朱子、五倫五常)
 唐末から五代の時代にかけて思想上の民族的反動が起こります。仏教、特に華厳宗や禅宗の理論的影響を受け、それを自らのうちに取り入れ、単なる儀礼の体系や処世の智恵ではなく、哲学化あるいは形而上学化された新儒教が出現します。張横渠、程兄弟を経て南宋の朱子により大成された宋学です。
 朱子の学説は以下のように要約されます。簡単すぎるかも知れませんが、日本の儒学者はだいたいそんなところばかり力説しているのでこれで充分です。
  格物致知
  五倫五常
   君臣義 父子親 夫婦別 兄弟悌 朋友信
  修身・斉家・治国・平天下
 居敬正座
 太一 陰陽 五行
格物とは、ものにいたる ものにいたす、の意味です。要は対象を客観的に詳しく観察して極め、そこから知識を得る作業です。そうすれば君臣父子夫婦兄弟朋友という人間社会のあり方は自然に見えてくる、とされます。そのあり方が義親別悌信です。字を見ればだいたいのところは解ります。こういう人間関係を大切にすれば身を修め、家政を斉(整)え、国を治め、天下を平和に保つことができる、と説かれます。基本は格物致知、そのための方法が居敬正座、いずまいを正して静かに座り心を落ち着けて瞑想ないし熟慮観察することです。最後の太一陰陽五行は以上の実践を基礎づける形而上学です。宇宙の根源は形なき運動としての太一であり、それが運動し展開して陰陽二気に分かれ、二気の混合により木火土金水の五つの元素ができ、五元素の組み合わせで万物が生じる、と説かれます。理を一番多く持つのが人間とされます。だから人間は万物の根源である太一という理を究めることができるし、また万物の中には理の一部が必ず包含されているのだから(理一分殊)、何を観察しいかなる知識を得ても理の根源に到達できるのだ、と宋学は力説します。なお「太一」は「たいいつ」と読みます。この学説は恐ろしい可能性を秘めています。政治経済が乱れれば、それは君主個人の不徳によるとされ、君主殺害ひいては易姓革命を合理化します。
朱子はそれまでの儒学が五経を重視するのに対し、四書の意義を強調します。四書は、孔子の言行録ともいうべき論語、孟子の著作とされる孟子、さらに礼記の中の断章である、大学と中庸の四つの文献から成ります。量にして五経と四書の比は約10対1です。朱子としては五経の精髄を選抜したつもりかも知れませんが、五経から四書への中心文献の移行は儒学そのものの大きな変化を伴います。宋学(朱子学)が初めから宋王朝の士太夫に歓迎されたのではありません。異端あるいわ偽学あつかいされました。ところがしばらくして歓迎されるようになり、王朝の正統とされるようになりました。江戸時代初期徳川幕府が採用したのはこの朱子学です。
五経は成立が古くおまけに中途で秦の始皇帝の焚書坑儒を蒙っているので理解が大変です。詩経は周・春秋時代の成立で当時の民衆歌謡の収録されたものとされますが、この時代区分自体が日本の学界では疑問視されています。詩経の朱子による理解と、100年前のフランス人と日本人による訳読では内容が全く違います。違う、ってもんじゃなく別の作品のように見えます。
朱子に関する毀誉褒貶のお話を二つあげます。まず誉れの方から一話。朱子は湖南(?)の地主であり、宋が金に押されて南遷した時、民衆を率いて金軍と戦いました。次は貶めるお話。朱子は馴染みの妓女(芸者みたいなもの)がなびかないので職権を乱用し彼女を投獄(流刑?)したと言われます。             95

「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社

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