おーちゃんぶろぐ。-まっすぐ歩いてる?-

人生は『ロード・ムービー』

喜び悲しみ
ひとコマひとコマ紡ぎ合わせて…
いつしか、ハッピーなエンドロールを。

『カーテンコール。』

2009-10-13 17:57:14 | Weblog
暖かな陽射しの10月・火曜日
『筋肉痛』が辛いですね‥

恒例行事も、ひと段落
今日もお仕事ご苦労様です


こんばんは 大橋理容室でございます



連休の本日は
マッタリと過ごすことに決めておりましたので

お部屋のお掃除を済ませた後は
久しぶりに、『レンタルビデオ屋』さんへ



劇場で観る映画が好きなので
普段、あまりDVDを借りることは無いのですが


話題作の影に隠れた、良い作品を発見することもあり
物色しているうちに‥手に取った作品は

94年公開の映画『カーテンコール』主演・伊藤歩さん




帰りにコンビニで『ポテトチップス』と『コーラショック(リキュール)』購入
アラフォー世代のみなさんには懐かしい『カウチポテト』を楽しみましたょ





物語は

故郷を離れ 東京の出版社で記者として働く香織(伊藤歩さん)
ある大物政治家と、アイドルのスキャンダルを掲載したことにより
福岡の出版社へと左遷されてしまう


自分と同世代の『レトロ』ブームをトピックスし
そこで、ある街の小さな劇場に昭和30年代後半~40年代にかけ
上映間にお客さんを楽しませる、専属芸人がいたことを知る


山口県・下関市の『みなと劇場』
何度も取材を繰り返すうちに、芸人・安川修平(藤井隆さん)の消息を探る旅に出る

そこには
妻を亡くし、生き別れた娘との悲しい人生が綴られていた。



大衆・娯楽として、映画が栄えた時代がかつて存在した
時代と共にまた、田舎の小さな劇場は衰退し始め

そこで暮らす人たちや、働く人たちの
『夢』も 時代の隅へとまた、追いやられた。



舞台芸人の、笑いの陰に隠れた悲しみ
香織は親子を引き合わせたい一心で、記者としての
失いかけていた想いを取り戻す


北九州市・福岡・下関・韓国を舞台に繰り広げられる
心温まる、ヒューマン・ドラマだ。



30年代の芸人・安川が見せるひたむきさ
貧しいけれど、家族には夢があった


香織の、ジャーナリストとしての生き方
久しぶりに訪れた故郷・下関の町が優しく癒してくれる。





いやぁ、ポテチ食べながら 感涙です


いい映画でしたょ





実は、マサのルーツをカミング・アウトいたしますと
『乙姫ちゃん・Tシャツ』でお馴染みの左胸の『中床(なかどこ)』

これは、『中町(なかちょう)の床屋さん』という
そのまんまの意味でありまして

現在の70歳代くらいの、町の方々には
その『愛称』で呼ばれておりました。



もともと 東京・浅草から来た両親が
たまたま知人の紹介で、空になった『中床』さんへ移り住みました
(すぐにでも、理容業が始められる状態でしたので)


この『中床』こそがなにを隠そうその昔、深谷市で3つ在った劇場のひとつ
『電気館』の映写技師さんの御子息さん(理容師)のお店だったのですねぇ


マサが小学校へあがるくらいまでは
寄居町にも『文映』、『銀映』といった劇場が2つもありました。



『中床』ルーツの話は、実は最近たまたま両親から聞き
マサが『理容師』でありながら『映画』に携われているのも

Tシャツで、何気なく『中床』を復刻させたのも
なにか‥不思議なご縁を感じております。





『中床』から、『大橋理容室』になり50年
その間いろんなことがありましたが‥

すべて、人生は気がつけば繋がっているのだと想います。



今やっていることも
ちゃんと『やるべく理由』があり


今の立場も
そうなるだけの、理由がやはりある訳で


でも
『この時間』を、どう過ごすかにより

また、無駄にはならないんじゃないかな?って思うのです



遠回りしてるのかもしれないけれど
遠回りするための、理由があるから



人生の『カーテンコール』には

たくさんの、大切な人たちのお名前をクレジットしたいですね







〝町の情報ジャンクション・大橋理容室〟