ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

エキスポランド

2007年05月06日 | 日記・紀行

エキスポランド社など家宅捜索 コースター脱線事故(朝日新聞) - goo ニュース

黄金週間も終わりを迎えつつあった昨日、痛ましい事故が起きてしまった。吹田市のエキスポランドで、「風神雷神2」と呼ばれたジェットコースターが脱輪事故を起して、乗っていた女性が死亡し、その友人が重傷を負うなど、多くのけが人が出た。子供の日ということもあって多くの人が春の休日を遊園地で楽しんでいる中での事故だった。

このニュースを聞いたとき、一昨年に起きたJR福知山線脱線事故のときに感じたのと同じような、なんともいえない虚しい思いがこみ上げてきた。あの時に感じたのと同じ思いがふたたび込み上げてくる。この事故で、多くの人々が深く傷ついたことだろうと思う。しばらくの間は、天真爛漫に、ジェットコースターをもう楽しむことができないだろう。それとも、ジェットコースターの本当の恐怖を楽しむことができるのか。

エキスポランドには私の青春時代の記憶も少しはかかわっている。大阪吹田市の千里丘陵を切り開いて大阪万国博覧会が開催されたのは一九七〇年のことだった。「人類の進歩と調和」をスローガンに掲げられたこの博覧会が開かれた当時の日本の社会には、現在のような閉塞感はなかったようにも思う。今よりももっと活気と夢に満ちていた。

博覧会の終了後に、その跡地に万国博記念公園が造られ、そこにエキスポランドもできた。そんな開園まもないこの遊園地に、その頃まだ学生だった私はアルバイトとして、さまざまな遊戯施設の補助の仕事についていたことがある。まだジェットコースターはなかったと思う。それ以来ふたたび訪れたことがないので、細かなことは今はほとんど記憶からも薄れてしまっているけれど、そこでのアルバイトが楽しい貴重な思い出として印象に残っていたことは確かである。


その頃は私もまだ二十歳前後だったし、ちょうど自分と同じようにバイトにきていた女の子二人と仲良くなって、回転シャワーなどに一緒に乗って遊んだ記憶が残っている。その一人はFさんと言って、今も古い手帳を捜しだせれば、彼女の住所と電話番号が残っているかもしれない。名前は忘れてしまったが苗字は今でも覚えている。一度二度電話をしたかもしれないが、地理的に少し遠かったせいか、結局は深い交友にはならなかった。今思い出しても、それは若い日の楽しいアルバイトだったが、昨日のニュースで、その記憶を少し傷つけられたような気もする。

 

 

 主よ、汝はいにしえより、世々我らの住処にてましませり

山いまだ成りいでず、汝いまだ地と世界とを造りたまはざりしとき

永遠よりとこしえまで、汝は神なり

なんじ人を塵に帰らしめてのたまはく

  人の子よ、汝ら帰れと

なんじの目の前には、千年もすでに過ぐる昨日のごとく

また夜の間のひと時に同じ

汝これらを大水のごとく、流れ去らしめたもう

彼らは一夜の眠りのごとく、朝に生えいずる青草のごとし

あしたに生え出でて栄え、夕べには刈られて枯るるなり

我らは汝の怒りによりて消え失せ、

なんじのいきどおりによりて怖じまどう

汝われらの不義を、御前におき

我らの隠れたる罪を、御顔の光の中におきたまえり

我らのもろもろの日は、汝の怒りによりて過ぎ去り、

我らがすべての年の尽くるは、一息の如し

われらが歳を経る日は、七十歳に過ぎず、

あるいは健やかにして八十歳にいたらん

されどその誇るところは、労苦と悲しみとのみ

その去りゆくこと速やかにして

我らもまた飛び去れり

誰か汝の怒りの力を知らんや.....

願わくは汝のしもべにかかわれる御心を変えたまえ

願わくは朝に我らを汝の憐れみに飽きたらしめ

世終わるまで歓び楽しませたまへ....

我らが苦しめる日と、災いにかかれるもろももろの年にくらべて

我らをたのしめさせたまへ.......

 

                                                      詩篇第九十篇

 

 


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