ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

人間と自然

2008年01月15日 | 日記・紀行

人間と自然

山へ畑仕事に出かけたりすると、様々のことを考えさせられる。たとえば、人間の健康や病気とその医療の問題などもある。また、さらにはより根本的に、人間と自然との関係、あるいはもっと広い意味での自然に対する人間の使命という問題もある。人間が自然の中から発生した意義と目的の問題である。

現代医学が発達して、今日では科学技術の結晶のような最先端の医療技術が受けられる。もちろん、そのために現代医学による治療には莫大な費用を要する場合がある。しかし、そうした一方でその高度化した医療の恩恵を被るべき人間自身の生命力は、肉体のみならず精神的にもむしろ退化していると見るべきではないか。

もちろん、病気に対する治療法の研究に最先端の科学技術を応用することに、反対するつもりはまったくない。

ただ、病気に対する治療法を研究する以上に、人間にとっての健康な生き方、病気にかからない生活の研究と実行、また予防医学の徹底にこそ重点を入れるべきだと思う。研究の対象と方向が根本的に誤っているのではないか。また、そのこと自体がすでに人間の「病」ではないか。

多くの病気や不健康は、人間のサイドからの理由によるもの、宗教的に表現するなら、「死」のみならず「病」もまたその多くは「罪」によってもたらされるにちがいない。

そして、人間の健康を考える時に、「自然」はつねに還るべき原点であると思う。

現代の日本のみならず、それは世界に共通する現象だろうけれども、社会問題として、医療・年金・保険など制度上の問題がある。それらは、もちろん、人間の福祉に大きな意義をもっていることは確かだけれど、また、多くの問題も抱えていること、むしろ「麻薬のような堕落作用」の潜んでいることは、政治や経済との関連においても明らかである。そういう意味でも今ひとたび、いわゆる「生き方としての資本主義」や「社会のあり方としての資本主義」が根本的に批判される必要があるのかもしれない。

それは、たんに肉体的だけではなく精神的な「人間の解放」の問題である。だが、人間は何から「解放」される必要があるのか。「金」か「罪」か。どのようにして。

写真は、麦踏みをへて成長する麦の芽。

 


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