おはようございます。
やっと待ちに待ったお休みです。今週もキツかったです。
今日は朝練に行って、貨物列車を何本か撮ってきました。曇っていなければ、5時半過ぎで撮り易くなって来ましたね。性能の良いデジイチなら楽勝なのですが・・・早くデジイチが欲しい!
さて、今日も撮影ネタが切れていますので、昔の写真から。今日は珍しく、客車の単品写真です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/28/ca2a50213b033381c296b450f271896d.jpg)
昭和56年9月頃 品川駅(品川客車区)にて ナハフ11 2021
品川客車区構内で入れ替え中の10系客車「ナハフ112021」です。
おそらくは、その昔に急行「桜島」「高千穂」などに使用されていたのではないかと思いますが、ネットで調べても素性が良く分かりませんでした。ただ、電気暖房の2000番代であることを考えると、むしろ東海道本線よりは北陸や東北方面で使用されていた可能性も高いですね。
軽量客車は、その構造や軽量設計が仇となり、老朽化が早く、同時期に製造された20系寝台客車と同様に、比較的に短命に終っています。客車列車の電車化・気動車化に際しても、戦前型の客車に比べていち早く徹底した感があります。そんな状況の中、このナハフ112021と僚友の2022が品川区で昭和60年代まで使用されていたようです。その役割は、品川客車区と尾久客車区間で行われる、客車の回送でした。
本来、客車は蛍光灯やテールランプ用の車軸発電の設備を擁していましたが、暖房設備は搭載していません。したがって、機関車から暖房用の蒸気或いは電気暖房用の電力を受けて暖房を行っていたわけですが、国鉄末期には東京機関区のEF58撤退し、暖房装置を持たないEF65PFのみとなってしまいます。
昭和60年から貨物列車の車掌(列車掛)の乗務は廃止されることとなりましたが、客車列車については引き続き車掌常務が行われておりました。これは、客車の中間車には手ブレーキが装備されておらず、留置の際の転動防止として控車が必須であったと考えられます。
客車列車の組成にあたり、冷房装置については列車の必須条件になっていませんでしたが、暖房については昔から一部の例外を除いて必須条件となっており、車掌のみに対してであっても、職場環境の整備として暖房は必須となっています。
そこで、PF牽引となって暖房の利かなくなってしまう客車に対して、客車自体に暖房設備を搭載し、車掌車として生き永らえたのがこのナハフ11でした。この控車には品川区のナハフ11の他に、尾久客車区のマニ36も同じ役割で配置されていました。ちょうどシービーさんが『EF651106がマニ+オハネ25+マニ36を引き連れて 』でアップしておりますので、参考までにご覧いただければと思います。
また、過去ログ『EF65牽引 混合列車?』においても、大宮工場への配給列車としてマニ36が連結されているシーンをご紹介しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/1b/f50cff6e18ed5902a400d5775850e233.jpg)
過去ログで掲載した1コマですが、ナハフ11がすれ違い様に写っていますね。実際にはカブられたとも言いますが(笑)。
現在も尾久客車区と大宮センターとの客車の出入りは行われていますが、転動防止のための控車という概念にどう対応されているのかは良く分かりません。
現実にはこの後間もなく車掌乗務も廃止となり、これら旧型の控車は役目を終えたことになります。しかし、ネットで調べたところによると、このナハフ11の2021・2022共に、旧品川客車区で保存されていることになっているようです。
![にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道路線・車両研究へ](http://railroad.blogmura.com/railroad_study/img/railroad_study125_41_z_sakuratree.gif)
やっと待ちに待ったお休みです。今週もキツかったです。
今日は朝練に行って、貨物列車を何本か撮ってきました。曇っていなければ、5時半過ぎで撮り易くなって来ましたね。性能の良いデジイチなら楽勝なのですが・・・早くデジイチが欲しい!
さて、今日も撮影ネタが切れていますので、昔の写真から。今日は珍しく、客車の単品写真です。
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昭和56年9月頃 品川駅(品川客車区)にて ナハフ11 2021
品川客車区構内で入れ替え中の10系客車「ナハフ112021」です。
おそらくは、その昔に急行「桜島」「高千穂」などに使用されていたのではないかと思いますが、ネットで調べても素性が良く分かりませんでした。ただ、電気暖房の2000番代であることを考えると、むしろ東海道本線よりは北陸や東北方面で使用されていた可能性も高いですね。
軽量客車は、その構造や軽量設計が仇となり、老朽化が早く、同時期に製造された20系寝台客車と同様に、比較的に短命に終っています。客車列車の電車化・気動車化に際しても、戦前型の客車に比べていち早く徹底した感があります。そんな状況の中、このナハフ112021と僚友の2022が品川区で昭和60年代まで使用されていたようです。その役割は、品川客車区と尾久客車区間で行われる、客車の回送でした。
本来、客車は蛍光灯やテールランプ用の車軸発電の設備を擁していましたが、暖房設備は搭載していません。したがって、機関車から暖房用の蒸気或いは電気暖房用の電力を受けて暖房を行っていたわけですが、国鉄末期には東京機関区のEF58撤退し、暖房装置を持たないEF65PFのみとなってしまいます。
昭和60年から貨物列車の車掌(列車掛)の乗務は廃止されることとなりましたが、客車列車については引き続き車掌常務が行われておりました。これは、客車の中間車には手ブレーキが装備されておらず、留置の際の転動防止として控車が必須であったと考えられます。
客車列車の組成にあたり、冷房装置については列車の必須条件になっていませんでしたが、暖房については昔から一部の例外を除いて必須条件となっており、車掌のみに対してであっても、職場環境の整備として暖房は必須となっています。
そこで、PF牽引となって暖房の利かなくなってしまう客車に対して、客車自体に暖房設備を搭載し、車掌車として生き永らえたのがこのナハフ11でした。この控車には品川区のナハフ11の他に、尾久客車区のマニ36も同じ役割で配置されていました。ちょうどシービーさんが『EF651106がマニ+オハネ25+マニ36を引き連れて 』でアップしておりますので、参考までにご覧いただければと思います。
また、過去ログ『EF65牽引 混合列車?』においても、大宮工場への配給列車としてマニ36が連結されているシーンをご紹介しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/1b/f50cff6e18ed5902a400d5775850e233.jpg)
過去ログで掲載した1コマですが、ナハフ11がすれ違い様に写っていますね。実際にはカブられたとも言いますが(笑)。
現在も尾久客車区と大宮センターとの客車の出入りは行われていますが、転動防止のための控車という概念にどう対応されているのかは良く分かりません。
現実にはこの後間もなく車掌乗務も廃止となり、これら旧型の控車は役目を終えたことになります。しかし、ネットで調べたところによると、このナハフ11の2021・2022共に、旧品川客車区で保存されていることになっているようです。
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発売されて,価格が安かったので買って作ったことがありますが,
実車がどこでどんな列車として走っていのかを知らなかったので今一愛着がわきませんでした。
急行用の客車だったんですね。
ご存じないとは、お若いですね。(笑)
急行形というとビミョーなんですよね。登場当初は「かもめ」や「あさかぜ」など特急列車の3等車としてもしようされていましたし、特急列車の電車・気動車化、20系化などにより急行優先、さらに老朽化により普通列車利用、廃車という道を辿っています。
ですから、特急なら茶色3等表示、急行・普通なら青ですね。比較的東北急行、信越、北陸の普通列車、西日本以南での使用が多かったようです。
1972年の岡山開業くらいから定期運用はなかったかも知れませんね。
昔、品川で見たナハフの客室から車掌室にダクトが這っている写真を撮りました。
最晩年に品川にいたマニ362001も、先日ブログに載せた写真で温気暖房器を発見しました。
http://expechizen.exblog.jp/12558212/
知らなかったので勉強になりました。
それで、旧客が必ず連結されていたのも、わかった次第です。
ナハフ11の扁平の妻面とHゴムの窓が印象残っています。
10系客車は、上野口ではあまりお目にかかれない車両だったと思います。
マニ36って、全部南シナだったんですかね?しかもトップナンバーって知りませんでしたわ。(笑)
「桜島」「高千穂」は10系メインに組成されていて、75年3月まで運転されていましたから、そのまま居た可能性もあるのでしょうかね。流石にその頃は小学生だったので、記憶も定かではありません。
私の持っている写真では、昭和49年ごろの高崎線の普通列車の写真があって、殆どが10系客車で組成されていました。八甲田や臨時急行などでも繋がっており、何度か乗った記憶もありますが、昭和50年代になってからは殆ど見た記憶がありませんね。
客車の中間車は手ブレーキが無いので、留置(機関車交換時も含む)に転動防止上絶対に必要なんです。貨車を連結していれば各車に手ブレーキがついているので便利なんですよね。
荷物車には汐留区がありました。品川のマニ362001は隅田川から流れてきたものです。
鹿児島持ちでしたか。失礼いたしました。
すると、晩年は品川発の東北・上信越急行などに寄せ集めで使われた可能性が高いということですね。
ナハフ112021…
なんとなく聞いたことのあるナンバーなので記憶をたどってみましたが、10系が営業運転から外されたあと、唯一残っていた2両でしたでしょうか?
私は初めて上京した際(S60年ごろ)に大宮の側線で見かけて、綺麗な車体にカメラを向けた覚えがあります。
なぜにこの車両が解体されずに残っているのか不思議でしたが、暖房控車という使命のために残っていたんですね。
長年の疑問が解決してすっきりしました(笑)
ほんとに久し振りですね。
あまりこの車両に注目して追っていたわけではないので詳しくは知りませんが、10系座席車としては当然にして現役最後の2両だった筈です。
暖房改造してあったから、というよりは、使い勝手が良かったとか、走行距離が少なかったとか、或いは使い込まれた地方の10系よりかなり状態が良かったのではないでしょうかね。