マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

遠いすれ違いの記憶:釧網本線の混合列車

2010-02-07 00:54:00 | 客車 列車・車両(ブルトレ以外)
こんばんわ。

先日、Fe4のシービーさんが根室本線の混合列車の記事をアップされていたんで、季節モノであることもあり、取って置きの画像をご紹介いたします。


昭和55年3月、初めて北海道に上陸。当時はまだ高校1年生。
稚内で足止めを喰った際に知り合った大学生たちと行動を共にし、網走経由で斜里へ流氷を見に行きました。この時は運良く流氷を見ることが私でき、満足して次へと移動、友人と私はその足で釧路へと抜けました。


私たちが乗ったのは急行「しれとこ」、キハ22の2両編成でした。運が悪いことに、2両編成で席に座れなかったのは私だけ・・・非常に屈辱的でした。

そして、どこの駅かで座れたんですかね。こんなシーンに出逢ったのです。




どこの駅だったか全く覚えていません。急行であるこちら側が先に到着し、対向列車をまっていました。最初はただの客車列車だと思っていましたが、なんと、貨車を連結していたんですよね。そう、混合列車との初めての出逢いでした。
メチャクチャ動揺しましたね。こんな列車が走っているなんて、全く知らなかったもので。慌てて窓を開け(もちろん、外は氷点下!)撮影した写真です。

タブレット区間では、後に到着した列車が先に出て行きますので、急行列車を差し置いて、混合列車が先に出発して行きます。




最後尾コトラ45000形かな?無蓋車。無蓋貨車の特徴で、テールランプの引っ掛けが1つしかないので、「目玉のおやじ」よろしく一つ目となります。たまらんですね~。
安定したデザインを好む年頃でしたが、この違和感はサイコーの快感に変わりました。

当時はキャノンA-1を持っていったのですが、このカメラ、SPCの反応がやや遅く、半押しなしでシャッターを切ると露出オーバーになってしまうんですよね。しかもリバーサルだったので致命的な写り方になってしまったのですが、今のデジタルはスゴイですね。なんとか見られる写真になりました。

翌年の同時期にも釧網本線を2回訪れていますが、既に混合列車の運転は解消されてしまったようで、この写真が最初で最後の正規混合列車の写真となってしまいました。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ

コメント (8)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 平成22年1月分 EF651... | トップ | 国鉄 181系:臨時特急「... »

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (水無月)
2010-02-07 13:36:56
こんにちは。
混合列車は記憶の中にはありますが、今振り返るとあり得ない光景だったんですね。
そういった事情で見ると、慌てて撮った当時のお気持ちが分かります。
ローカルな路線では列車の設定本数が少なかったから、存在していたのでしょうか。テールランプは反射式のものなんでしょうか?このような仕掛けでも事が足りたんですね。

遅ればせながら、ブログ3周年おめでとうございます。お仕事がキツイ中でも毎日更新は、本当にすごいですね。ブログは一方通行じゃないところが楽しいですが、時には辛くもなったります。でも長く続けていると、色々と気持ちを汲んでくださる方もいて、またそれが小さな活力にもなるんですよね。
私も一つのブログだけは毎日更新を目指していますが、結構エネルギーを使いますね(笑)。これからも気負わず続けていってくださいね。楽しみにしております。ランキング復活ですか?ポチ入れますね。
返信する
Unknown (キハ181つばさ)
2010-02-07 18:20:27
水無月様
こちらにもコメントありがとうございます。40歳の手習いで始めたようなブログが、日を追うごとに本格化してしまって、やめられなくなってしまいました。毎日更新は義務感が出来てしまってつらく感じますが、疲れたときに「やめたい」ではなくて「やらなきゃいかん」という責任感が強く出てしまうんですよね。病気ですな(笑)。
この当時は全国的にも少数の混合列車が存在していましたが、北海道はいずれも長距離運転でしたね。お客さんを乗せたまま、途中で入換が必要になる場合もありますので、その分、普通の列車よりも遅くなってしまうわけですね。ですから、とても合理的な輸送方法ではなかったとおもいます。その辺りが廃止になった最大の原因ではないでしょうかね。
テールランプですが、現在のような赤色円板は昭和60年頃に列車掛(貨物列車の車掌業務)の乗務、車掌車の連結が廃止された際、電力なしで使える後部標識として使われるようになりました。一部私鉄では、鉄板に赤ペンキを塗っただけみたいなのも存在しましたけど。
写真のタイプは充電式電池が内蔵されており、ちゃんとランプが点灯します。しかし、車掌車のように走行充電が出来るわけではありませんから、果たして何時間ぐらい点灯できたのかまでは分かりません。必ずしも最後尾に車掌車を連結しないローカル線の客車や貨物では、こうした光景が見られました。
返信する
Unknown (シービー)
2010-02-07 23:03:37
コトラでなく、コチラの方がより一層、混合列車というのがわかりますね。
トラも、普通に見られたのに、今じゃ~写真でしか見れないなんてね~。
日中線も混合列車って走ってましたよね。
返信する
Unknown (急行越前)
2010-02-07 23:43:31
キハ181つばささま
これはまた貴重な写真ですね!
釧網線の客車は混合列車があるために気動車用の暖房器を積んでいましたね。
トラに積んであるのが石炭というのがまたいいですね!
どこかの暖房用でしょうかね?
返信する
Unknown (キハ181つばさ)
2010-02-07 23:53:53
シービー様
遠目だと有蓋車よりも無蓋車やタンク車、コンテナ車といった大きさや色の違う貨車の方が混合列車らしく見えますよね。
日中線は1度行ったことがあるのですが、私が乗った早朝の1往復は貨車を連結していませんでした。途中の会津加納は廃止間際まで貨物扱いがあったようなので、もしかしたら貨車の連結があったのかもしれません。
返信する
Unknown (キハ181つばさ)
2010-02-07 23:58:38
急行越前様
暖房機を積んでいたというのは知りませんでした。
通常、混合列車の場合は途中駅での入換に備えて、機関車+貨車+客車の順に連結するもの。暖房の関係でこのような連結順にしているのだと思ってました。
もし仮にこの姿で途中駅での入換が生じると、お客さんを乗せたまま転線する必要が生じますので、やはり危ないですよね。連結する時は結構な衝撃がありますので。(貨車同士を連結する時は、案外遠慮なくぶつけます。)
返信する
Unknown (金太郎)
2010-02-10 23:57:54
コメ遅くなりました。
わたくしも最近身体がしんどい(特に目が疲れる)ので毎日訪問が危うくなってます。
歳のせいでしょうな。

混合列車を運転する線区では気動車と同じ暖房機を積んでいたというのはわたくしも聞いたことあります。
しかし、貨車のテールって何気に不気味ですよね。
その不気味さが面白いんですがね。
ワフ29500とかの貨物室側の2個並んだテールが子供の頃妖怪みたいに見えましたわ。
返信する
Unknown (キハ181つばさ)
2010-02-11 16:45:42
金太郎様
暖房機を積んでいたというのは、客車2両とかの短編成しようではないでしょうかね?釧網本線は荷物車込みで3~4両くらいでしたし、往復ですれ違いもあったと思いますので、準備数が多くなってしまいそうです。
不気味なテールって、ワフ21000じゃないかな?テールが反射板付きで寄り目になっているヤツ。カッコ悪いんで写真の対象ではなかったのですが、結局最末期の貴重な期間をカブっていながら、記録として残せませんでした。(次位に繋がっている写真とかは数枚あるようですが・・・。)
返信する

コメントを投稿

客車 列車・車両(ブルトレ以外)」カテゴリの最新記事