マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

被災地から戻りました・・・線路の無くなった気仙沼線

2011-04-16 01:04:00 | ローカルな風景
こんばんわ。

被災地から帰ってきたのが日曜日。間もなく1週間になろうとしています。
被災者に微力ではありますがお手伝いをし、震度6強という恐怖の地震も体験しました。
一生忘れることの無い経験をしてきました。

最後になりますが、鉄道の状況です。これも言葉の出ない風景でした。



国土地理院の地図データから

気仙沼線の志津川駅近辺を抜き取りました。
点々と建っている家並みは、その殆どが平地にあります。川沿いですから、比較的低地にあると判断していただけると思いますが、高台にある学校と若干の民家以外は壊滅していると思っていただいて構わないと思います。そのくらいの広範囲が津波に襲われました。
もちろん、気仙沼線の志津川駅も例外ではありません。




携帯電話のカメラで撮影したものなので、画像はあまり良くないですが、一応クリックすると大きくなるようにしておきました。
中学校から小学校までの道のり、国道398号線を歩いていると、1箇所だけ大きく渡る橋があります。何でここだけ?と思ったら、やはり鉄道だったんです。
というのは、鉄道かどうかも最初は判らない状況だったのです。

国土地理院の♂を付けた位置から撮影しています。遠くに見える工作物がどうも駅のホームのようです。




駅のホームと思われる部分をアップにしてみました。
まるで廃線跡か、あるいは整地してこれから線路を敷設しようとしている風景にも見えてしまいます。

一番驚いたのは、線路が全く無くなっていることでした。
水害や地震などで土盛りの路盤が流出することがあっても、線路と枕木はしっかりと繋がれているので、線路後となくなった様子というのは今まで記憶がありません。見渡す限り線路が見当たらない光景というのは、私の中の常識では考えられません。
線路側面の面積で、水の抵抗を受けたとしてもたかが知れている思いますが、一体どんなパワーだと言うのでしょうか?本当に信じられません。

東北各地で被災した線路も、徐々にではありますが運転が再開されるようになりましたが、このような状況の場所が海岸を中心に数多く残っています。
被災者の言葉に
「もう(気仙沼線は)廃止になっちまうだろう。鉄道が復活したって、乗る人さ居ねーべ。みんな流されちまったんだから。」

あまりにも重た過ぎる言葉で、受け止めることができません。

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約1週間にわたり、被災地支援の際に得た状況を報告してきました。
今回は取材で行ったわけではないので、写真も携帯電話のみ、枚数もあまりありませんでした。
文字だらけのダラダラとした文章にもかかわらず、多くの方に読んでいただき、支援活動に対する労い、被災者への心遣い、ご自分の想いなど、多数のコメントをいただきありがとうございました。
遊びでは被災地に行ける状態ではありませんから、現地に近付く機会の無い読者の方々に、報道では分からない現地の状況、被災者の考えていること、不安、そして本当に必要と望んでいるものが何か、少しでも伝わっていただければありがたい。そう思っています。

被災地支援に関する記事は、これにて一旦終了といたします。
最後まで稚拙な記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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コメント (6)
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