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マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

被災地から戻りました・・・教訓が命取りに・・・

2011-04-12 02:12:00 | ノンジャンル
こんばんわ。

昨日も地震が多発しました。今度は福島~茨城県。留まることのない地震に、地域の皆さんもさぞや疲れ果てていることと思います。

志津川での支援活動について、被災者の方から聞いた話を・・・ショッキングです。




クルマの回送を兼ね、歩きで活動場所に戻る際、志津川中学校へ通じる高台から撮影したものです。
一見すると長閑な平野に見えますが、本来なら殆どが住宅や工場が建っていた市街地に当たります。一戸建ての民家は全て流され、高台でギリギリ逃れた家以外は1軒も残っていません。
テレビの画像では何回も見た風景ですが、実際に自分の目で見た風景は、言葉が出ないほど凄まじい、無残なものでした。




志津川中学校から国道398号に降りてきた辺り。防災センターと聞いていたのですが、正しいかどうか確認できません。
3階建ての強固な建物は、しっかりと残っていました。

しかし・・・




写真からもお判りのとおり、3階まですべて津波に呑まれてしまいました。海岸線からはかなり距離がありますが、そんなことはお構い無しの津波の規模だったわけです。


消防団で最後まで避難を呼びかけ、津波に追われながら逃げてきて難を逃れたと言う消防団の方のお話。

街のあちこちにチリ地震のときの津波が来た高さが表示されています。
その津波が過去最大級のものであり、その高さが危険・安全の目安となってました。
毎年、街ぐるみで大掛かりな防災訓練は行っていました。
岩盤の上にある街は地震に強いため、津波が最大の脅威です。
チリ地震の規模の津波から逃げれば大丈夫、経験した者はそれを教訓として、経験していない者はそれを受け継いできたんです。

でも、今回は違いました。津波の高さがチリ地震のときの3倍以上もあったんです。

地震が発生してから津波警報が発令され、高台に避難するのには十分な時間がありました。
でも、沢山の人たちが流されました。

逃げ切れなかったんではないんです。
逃げなかったんです。

護岸も水門もある。ここまでは水が来ることはない。
過去の経験から、そう思った年寄りたちは、逃げようとしなかったんです。
町役場の職員たちも、自分たちはここに残る、そう言って逃げなかった。

みんな流されました。
今回の地震を、津波をなめていたんですよ。
過去の教訓が仇になった。そう言わざる得ないですね。


この話を聞き、自分が想像した事態とあまりにも違ったために、言葉も出ませんでした。
今まで、自分たちで率先して守ってきた命。
その教訓が、無残にもたった1回の津波で木っ端微塵に壊されてしまったんです。


防災護岸は、この津波で跡形も無く壊されてしまったと言うことです。
今回の津波は、それほどのパワーを持っていたのです。

これから先、このレベルの津波から街を守る手段を構築することが果たして出来るのでしょうか?

言葉がありません。

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震災発生から1ヶ月。亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
コメント (10)
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