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マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

485系「あいづ」:総集編 クハ481

2009-07-02 00:30:00 | 特急型電車(交直流・交流)
こんばんわ。
昨日は多少蒸していたようですが、暑さをあまり感じなかったので、十分なお昼寝をして元気なつばさです。

今度の土日、2日間掛けて臨時特急「あいづ」が走ることになっています。
私が物心ついた時には既に電車特急として上野~会津若松間を走っており、東北新幹線の上野開業までその活躍は続きました。

過去ログで『485系「あいづ」:総集編 クロ481』をアップしてから既に1年が経ってしまったのですが、今回、そんなリバイバル運転の話題もありますので、今日は過去ログ「クロ」と反対側に連結されていた「クハ481」篇をまとめてみます。
ちなみに、過去ログで『485系:「ビバあいづ」』も掲載しておりますので参考まで。



昭和52年 上野駅にて クハ481-300番代

電車特急として誕生以来、「あいづ」は仙台運転所の485系を使用しており、磐越西線内の有効長の関係があって9両編成に抑えられていました。
そのため、食堂車と3ユニットのM車を連結した場合に1等車(後のグリーン車)を連結できなくなることから、上野方にクロ481を連結して対応しました。
基本的に仙台所の9両編成は両端ともボンネット型の編成が多かったため、貫通型や非貫通型の「あいづ」を見る機会は非常に少なかったと思います。



昭和52年 西川口~蕨にて クハ481-300番代

少ないとは言いつつも、このように非貫通型の300番代も全く見なかったわけではありません。ただ、あまり見慣れない「あいづ」の文字マークにヒジョーに違和感がありました。
昭和52年時点では9両編成であるにも拘わらず食堂車が連結されており、当時の特急列車は短編成の部類ではありましたが、貫禄は備わっていたと思います。



昭和53年 西川口~蕨にて クハ481-300番代 と DD1327牽引 貨物列車

こちらも同じ構図ですが、今風に言えば「カブリ」というやつですね。
しかし、カブッた相手は1つ目のDD13です。今となっては文句の言えない、時代を語る相棒です。彼なりに田端~蕨~川口間をせっせと何往復もしていたんですよ。



昭和54年 西川口~蕨にて クハ481ボンネット型

まあ、時間帯が良かったので良く撮ってましたね。
53・10の改正後で、写真を見ると食堂車の連結が無くなっているのが判ります。比較的後期まで残っていたと言う記憶もあったのですが、考えてみれば「やまばと」が秋田所へ移管されてからは「ひたち」のみとの共通運用であり、食堂車の需要(というか利用価値)がかなり低いものと推測されます。編成が短い故に、食堂車よりも乗車定員を増やせるサハの連結の方が得策と考えられたのでしょう。



昭和54年 西川口~蕨にて クハ481ボンネット型

こちらも全く同じような写真ですみません。
上の写真では後から4両目にサハと思われるAU13クーラーの車輌が見えますが、こちらの写真では後から2・3・4両目とも200番代以降の車輌が連結されているようです。53・10くらいになると、検査や全国的な配置異動が多く行われたため、編成美が相当崩れてきたようですね。



平成13年7月7日 磐越西線 広田~東長原間にて 485系「あいづ」

時代はずっと飛びます。
「ビバあいづ」が長期検査のために工場入りし、ピンチヒッターとして青森所の国鉄色車が充当され、久し振りに国鉄色の「あいづ」が登場となりました。
この年は珍しく夏場のD51運転もあり、沿線を大いに沸かせたものです。


注目度としてはやはり確実にボンネット型を狙える上野方のクロ481を撮っていることが多く、しかもクロの方が順光であることも撮りやすかった点があるかもしれません。

今度の4・5日に運転される「あいづ」はやはり新潟のムーンライト編成を使用するようですので、6両編成のクロハ付きといった、やや現実味に欠ける編成となってしまうようです。おそらく、ヘッドマークもステッカーではと推測しています。
下りの4日はブルトレの臨時運転もアナウンスされているようですし、583系の回送も通るようです。我家の近所も激パにならなければ良いのですが・・・天気も心配ですね。

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コメント (12)
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