〔B〕(「2章 様々なレヴェルにおいて」<p23>)の中には、多くのレヴェルという言葉が出てくる。糧の為に仕事で”ものつくり”に関わることができた僕にとっては、言葉の定義を定めない、これもばら撒きのようなこのレヴェルという言葉も何故か気に掛かってくる。一つの言葉のレヴェル、ひとかたまりの文章のレヴェル、人物のレヴェル、主題のレヴェル、全体のレヴェル・・・。見定められた領域での段階のステージという言葉と違っても、定義の書かれていない”レヴェル”ということばの使い方は、これでいいのだろうか? レヴェルという言葉は、その中でも細かな段階がつけられてからの用い方のように思うのだが。◆欧米のできあがった作品からの「異化」という小説の手法を聞き取ろうとすることは、そもそも引用する作品の、作家の本来のその意識までは入り込まず、完成品からのスタートだと大江は受け取っているのである、このこと自体が「異化」の手法を述べたシクロフスキーの語っている主旨〔A〕(p87)とは観点が違っているのではないかと思うのだが。だからというか、あらゆる引用の紹介は僕らにとっては、知識が増し、感謝なことではあるけれども、頭は冴えたとしても胃袋に吸収されてこないのだ(すくなくとも僕には)。◆「元来理屈から言って、自己の姿などというものはいつまで経っても見えるわけのものではない。己を知るとは自分の精神生活に関して自身を持つということと少しも異なった事ではない。自身が出来るから自分というものが見えたと感ずるのである。そしてこの自身を得るのにはどんなに傑れた人物でも相当の時間を要するのだ。成熟する事を要するのだ。」(「文科の学生諸君へ」:小林秀雄)◆文学を勉強するということは、いろいろなものの真似をする、そのような装をする、ふりをする習性を努力していくことである。それは大変いい勉強になり、大変役に立つことである。しかし、そのために実際自分で身をもって経験することの重大さを忘れてしまう。多くの小説を読みあさり、すべての経験は知っているような気持になってしまう。それが危険なのであって、実際の努力、忍耐が必要なのであり、この世は実際やってみなければ分からぬことがいっぱいあるということを、よく知らなければならない、と大江をコケにした(批評家、江藤淳もダメ出ししてたんだけれども)批評家小林秀雄は、文科の学生に申しておられているのでありました。
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