marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(171回目)K・バルト ローマ書講解 第一版への序Ⅰ

2016-11-07 21:31:36 | 日記
◆カール・バルトさんの書いたローマ書講解(上)の第一版への序(その1)◆
来年は宗教改革500年、ルターさんはヨハネ伝の次は、パウロの手紙のローマ信徒への手紙・・・を是非、読んで学ぶべしの仰せでした。んな訳でヨハネ福音書も一応読んで来たつもりで(かなり脱線したけど、今までの回を読んでくださいな。神学者八木誠一先生の若かりしころの敷衍<ふえん>訳というのは掲載途中であります・・・)そろそろパウロさんの書いたローマ信徒への手紙を読み始めようと思いました。167回、168回(途中飛んで今回に来ます)。
◆いきなり表題を読んで、カール・バルト(以降 Kと書きます)とは誰さあねと言われる方がおられるかと思う。クリスチャンと呼ばれている方で少し勉強されている方は、誰あろう20世紀最大の神学者と呼ばれておられる方なので名前は、ちと聞いたことがあるかと思います。「神学は生きる上での武器になる」と仰せのあの作家の佐藤優さんもKは読まれるといいですとは簡単に言われますが、だいぶ前にも書きましたがなにぶんにも値段がとんでもなく高い(全集:僕持ってるよ、全部じゃないけど)。Kの本は他にも手に入りますが写真の文庫本はそこらでも販売してますので立ち読みされてください(といっても1冊500ページ以上あるんで目次か序あたりとお尻の箇所、なんとなく読んだ気になるでしょ)。 (平凡社ライブラリー)
◆さて、今回の本題、以下 神学というのは小難しい事、書いてあるようだが実際の内容は、何でそういう学問なのかというとこれも以前に書いた、深井智朗さんの”神学の起源”(新教出版社)を立ち読みでもして欲しいですが、天地創造された全知全能の神様がおられるのであるから、いかにして我らは、今に働き掛ける神の御こころなるものを自分の言葉で表現しようぞ! というようなことで始まったと言えるな。(と僕は思っていて、誰しもが考えるのが面倒だから思わないだけで、考えていけばそういうことも考えないとやっぱ、「天になるごとく地にもなさせたまえ」(主の祈りの終わりの方)とお祈りしているのだから、神の似姿に創造されし人間もこの地上のことを考えて神がどう思われているか考えんといかんなという内容なのですね。しかし、こういう歴史があって社会を変えてきたからこそ我らは今それが実現されているところでは曲がりなりにも平和なのだと言いたいくらいなのだ、これ僕の考えだけど。。。)
◆今回は、いつもながら表題は書いたが、中身が違うようでその序論となりました。何を言いたいのかといえば、今まで”聖書を自分の言葉で読む”ということで進めてきた内容でありますが、もちろんパウロさんの手紙もその他も新約聖書の一部ではあり”聖書”ですが、イエスの言葉、体験を自らの言葉で、まとめて総括的に、一番初めに理論的に著したのが、誰あろうパウロさんということになるのです。これが、また、ユダヤ人、パリサイ人であり、当時のエリート中のエリートである方が迫害から一転ひっくり返って、異邦人への伝道者となり、イエスを知る以外は今までのすべてのことは糞土(うんこ)のように思うとなったものですから、その読むことへの我らの影響たるもすごいものがあるのです。旧約からのイエスに関するという先理解が少しでもありますとますますとよ~分からんところがあるけれど、なんかすごいことが書いてあるみたいとなり、実際、読んで理解していくとすごいのです。
◆んでもって、僕が書きました167、168回あたりをK・バルトさんが言葉でまとめると次回書きますが、”ローマ書講解(上)の第一版への序”の前半に著したような内容にまとめられるのではないかと思っているのです。・・・ 

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