marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(356回目)世界を形成する歴史認識の通奏低音(Ⅰ)

2017-06-03 10:47:29 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教
 ずいぶん、小難しい訳の分からんような表題ですが、分かる人には感じてもらえるだろうと思い考えました。ペンテコステ(聖霊降臨祭)も間近でそれについて書こうと思いましたが、何分にも裾野が広い分野(ヨハネ福音書の結びの言葉第21章25節「イエスのなさったことは、このほかにまだ数多くある。もしいちいち書き付けるならば世界もその書かれた文書を収めきれないであろう。」とあるように・・・)に入り込みましたので、大切なペンテコステの話に入る前に、ここでひとくくりのような文章にまとめたい。
◆とかく、僕ら人間というのは、過去のその時々に一生懸命に生き抜いてきた人々について教訓的な言葉を引き出そうとしますが、どこかで失態などすれば、総括的に罰する側の評論家か裁判人になってしまいがちなものです。これを確認するには難しくない。芸能三面記事でも政治でも人というのは評論家になると気分のいいものです。これは特に、ドーキンスではありませんが、この辺も遺伝子的優位性は少しでも劣化すると判断してしまえば(その判断基準がどこから来るかも人という生き物についてははなはだ疑問なのですが)それを排他、取り除いてしまおうとする優位性が働いてしまう生き物のようです。
◆人という生き物はいかなるものかなどということを考えても、無論生理医学的にとか、脳の神経系の働きとか、ホルモンの働きとかを考えても(例えばテストステロンという男性が多いホルモンは攻撃性を助長するものは、躁鬱の鬱を改善する働きがある)人という生き物をデカルトのように機械的に分析してみても、結局、人というものは、人類の38億年の歴史の中で自分というものは、生命を選べられない必然性の上で何を目的に何を楽しみにと学生時代にかなり暗くなったものです。全知全能の神がいる・・・ところが知られているそれらを僕なりに調べるとあまりに抹香くさい。はっきり言っておかしいと僕は思ってきた。歴史を調べても、欧米ばかりでなく東南アジア、西南アジア、南米も含むすべての世界に人という種がいる限り神はいるのであろうに・・・と大層な考えで思い込んでしまった訳です。
◆ソクラテスの「汝自身を知りなさい」という高校時代、倫理社会の中で知識だけをはべらかすソフィストという連中に話したという言葉が忘れられない。そもそも、何かをものを考えるにしても、他を評価するにしても(言葉を発する時といっていいい)土台となる自分というものはそもそも何かということが問題になりだした。それを考えずして、人は他を批判したり、切った張ったのドラマをやってきているいる訳だから・・・。このような考えはかなり、おそらく誰も普段は考えない後退した考えだ。誰でもが生まれたままの自然状態からスターとして「自由とはなにかなど」と考えている訳だから。それは、人の種の動物としての(人間と言わずあらゆる生き物といっていいが)欲求を充満させることである。(しかも、これが人であるからきりが無い部分がある)したがって、代々宗教の要は、この世は過ぎ去るのだ、地上の人の五感の欲求は儚いのだと・・・。
◆ここで、僕はキリスト教に少なくともかなりのことを教えられるだろうと(巷には「聖」と流布されているし・・・)思った訳です。おそらく人間であれば誰でもが、とあえて書きましょう。しかし、それにしてもかなり障害が高すぎた。つまり、神を考えるその土台としての自分の言葉(考え方といってのいい)が整えられないかぎり、人の限界のある言葉では捉えきれないだろうと(これは今も僕はそうだと思います。キリストが言わんとすること、繋がることはおそらくこの限界なることを越えたところにあるとそのスピリットが感じないかぎり会得というか理解は不可能だろうと)思います。おまけに膨大な知識量が必要のようだ・・・。おまけに長い歴史もあり、僕の生まれた国には、もろもろすっきりしない歴史がある。 
                  ・・・続く 



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