marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(172回目)脱線Ⅰ 神学者 K・バルトさんのこと

2016-11-09 20:26:29 | 日記
◆僕の記憶にあるカール・バルトさんのことを少し◆
早速、脱線だ。いきなり大神学者の話を書き出して、固まってしまってます。一昔前は、カール・バルトさんは日本の神学を学ぶ人たちの間では一斉を風靡したのだね。愛好者がたをバルティアンと呼ばれていたとか・・・。だから礼拝の説教ではすぐ、かのカール・バルトはこう言っている云々と・・・。この方の名前は今の時代に近くなる神学には必ず名前が出てくる筆頭の方。歴史として僕らに近くなるといってもあの戦争以降のこと・・・彼の著作は、神を信じてイエスを学んできた人間たちは、なぜ戦争などをして殺し合いをするのかという、人間はとんでもなく神の言葉と断絶しているのであるとの仰せで始まったのだ。彼は戦争を体験してるし非常に深く神と我々人間とのあり方を考えた議論。これに対して、エミール・ブルンナーという神学者が、そんなこと言っても、人間側からも神を求める気持ちはあるし、その気持の残骸はあるのではないの? と言ったわけ。それは、人間は神の似姿に創造されたとあるじゃないか(これ創世記に書いてあるぞ。しかも脱線するけど神様が我々に似せてとある。おい、神様ひとりでなかったのかい。否、神様が天使と相談してたのよとか、いやいや、三位一体とあるから天上界で父なる神と子なるイエスとあの聖霊が相談していたのさ・・・とかいろいろ話がでてくるがとりとめもなくなるのでそのうち)。で imago Dei(イマゴデー)ラテン語ね。 つまり、the image of God のことを言った。つまり人間界にも神を求める気持ちあるやないかと言った訳。それに対して、Kさんは 「Nein!(違う)」と論文出したんだな。この議論はとても有名?な話となった。その後、ブルンナーさんは来日されICUで国際基督教大学で2年ほど教えられた。このとき僕の敬愛する神学者大木英夫先生が学ばれその後アメリカ・ニューヨークのユニオン神学大学にいってラインホールド・ニーバーの元で博士号を取られるのね。これ前に書いたな
◆先の回に載せたKのローマ書講解のカバー写真の絵はグリューネヴァルトという人が描いた”この人を見よ”。洗礼者ヨハネが指さしてるのは、ちょうど十字架は見えないけれどその十字架にかかられたイエスを指さしているのだが、この絵を(模写だと思うけど)カール・バルトは机の前に飾っていたらしいですね。それで、毎朝、モーツァルトを聞きながら起床してたとのことでした。んで、何を言いたいのかと言えば、カール・バルトの著作の中に「モーツァルト」というのがあるのね(新教出版だったと思う)。その後ろのほうに”日本の友へ”という短い手紙文が載っていました。昔のなので今はあるかな、この本。その中で日本から来た若い優秀な哲学者のことが書いてあったのです。その学生のことが気になってましたが名前が書かれていない・・・つづく。

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