marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(152回目)自己内の偶像化の回避Ⅴ

2016-10-10 10:07:07 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
最近、小難しくなってきました、pureな方は読まないでね。堅い物がかじれる方むけに傾いてきましたので。
◆今日も朝方、陽が出て静かな良い天気である。少し風が冷たくなったけど。
ところで小難しい題を付けた割にはさっぱりその話が出てこないじゃないか。それにヨハネによる福音書を読んでいるのはなかったの? ということで少し弁解がましく書きます。後の方から、ヨハネさん(その群れ)が著した福音書の意図は今まで書いてきた。ところで情報が行き渡り、地球の裏側の情報まですぐに見られるような世界になって、イエスの福音も様々、語り告げられて広告チラシのように右から左へと見ても、聞いても通りすがりの例の宗教ねとこの国のほとんどの方が思われているやもしれないことに危惧を覚えるがそこまで。
◆その危機感というか、隣国がまたぶっそうな核弾頭のミサイル発射に成功したとで威嚇を頻繁に行っているニュースが今日も飛び込んでくる。前に書いた中国でも原発の開発建設が行われ総じて50機ほどにもなること、それは朝鮮でも海側にもあること、ひとつでも事故れば、黄砂やPM2.5の影響がある日本ではもう確実にじんわりと見えない形で寿命が確実に短くなる人々がでるであろうと(すでにというか、だから風向きにより青森や秋田では○○が多いのでは)と僕は思ってしまう。いずれにしろ誰でもがこの地上の生涯を終えてどこかへ行くのであれば、将来自分のお墓が核汚染で汚れたところで眠るより、地球が終わっても永遠の住まい(パラダイス)に帰還するためにも、常に脱出の備えをしておくべきではないだろうかと(このために内なる偶像かの回避が必要になってくると・・・ようやく出てきた)。
◆ここから本題:語られた言葉、書かれた言葉のみであれば、イエスがキリストであると命まで賭けて伝道することなどにはならなかったであろうと思う。煎じ詰めれば、僕らが何を信ずべき事実であったかと述べなければならないとすれば、それはイエスが教師ニコデモに話した地上の霊のこと、それは限界があり肉なる僕らには今も解らないことだが事実であること、イエスが復活して弟子たちと共に40日間ほど過ごし、天に帰られたこと。私を信ぜよと言われたこと。再び迎えに来ると言われたこと。これは、なんとしても観念ではなく、事実であることでこれがなければ、キリスト教は世界宗教にはならなかったであろうころを確信する。(注意:僕らは宗教として簡単にキリスト教というけれどイエスが信ずる者のために命を犠牲にされてキリスト(救世主)になったということを理解される人が本来、キリスト教という言葉を言えるように思われる)。
◆ですから、聖書の中に出てくるイエスが死後、現れたということは何ら不思議なことでも何でもなく、肉なる僕らが解からないだけで事実それが人間が存在する限り(神がそのように創造されたのであるから)実際にある現象なのだということです。思うに、キリスト教を信じて堅い物がかじれるようになった方は、ここからスタートを切らなければいけないものと思われるのだ。むろん、旧約、新約の内容が卒業ということではない、そこには永遠の命の泉、根っこ、核芯、植物でいうところの根の先端の成長点というべきものが書かれているのだから。すると、ともすれば観念的読み込んでしまう次のパウロの言葉は、実際にイエスが現れたのを見たのである。どうぞ、それでも通りすがりになろうとする方は前の回の「霊性の震災学」(写真をクリック大きくされてください)を本屋で立ち読み、あるいはyoutubeでも流れるているようですが・・・ごらんください。亡くなられた方のご冥福を心から祈ります。
◆「キリストはケファ(ペトロ)に現れ、その後十二人に、次いで五百人以上の兄弟に、次いでヤコブに、その後すべての使徒に現れ、最後に月足らずのわたし(パウロ)にも現れました。(コリントの信徒への手紙一15章5-8節)・・・(明日、震災でご両親と姉を亡くされた僕の友達が遊びに来る。)・・・つづく 

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